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言葉の解像度をあげること。

人それぞれでどんなことをイメージしているのかまったく違っていることってよくある。

たとえば、「やりがいがある」と思うものって、人によって全然違うのに、「やりがいあるのはいいよね」って感じでお互いイメージ違うまま話してしまったりしがち。

キャリアの話って、そういう風にふんわりしがちだと思う。

「やりがいがある」という言葉だけでなく、「人をサポートする」「お客様に喜んでもらう」「評価される」とか、なんとなくわかるけど具体的なことがわからない。

人と話すときだけでなくて、自分でもはっきりはわからないまま、あいまいなイメージでいることって多いのではないかと思う。

たとえば、「やりがい」って言葉自体もあいまいだけど、「やりがいがあるところで働きたいか」というとさらにあいまいだ。

やりがいがある(自分がやりがいと感じるものがある)方がいいという人は多いと思う。
やりがいがないよりはある方がいい、という人も多いと思う。

でも、やりがいがあることをどれくらい重視するかっていうのは結構違うんじゃない?
やりがいがある仕事ができるなら、多少ほかの条件がつらくてもやりたい、っていうくらいにやりがい重視な人もいるだろうし。
やりがいあることと、ほかのいろんな条件でメリットデメリット考える人もいるだろうと思う。
やりがいある方がよくても、ほかにもっと重視したいことがある人もいるだろう。

そもそもどんな仕事をしたいか(やりがいがある方がいいかどうか)よりも、勤務時間とか、勤務地(リモートワークも含めて)とか、柔軟な働き方の体制だとか、家族の事情とか自分のライフスタイルに合うような条件で選ぶのが優先になることもある。

そして、そういういろんな希望とか条件とかが、自分や家族や仕事などの状況によっても、優先順位がかわったり求めることが変わったりもする。

なんとなくこういう方がいいな、というのと、具体的にいろんな条件や自分の状況などを考えて今のベストを選ぶって全然違う。

だから、なんとなくこういうの、程度のふんわりイメージのままそれ以上考えないと、行動につながりにくくなったり、何かやってみたもののずれていたりしてしまう。

なんか考えにくいな、話しててもわかってるかわからないな、っていうようなときって、こんな風に自分の使ってる言葉がふんわりしているときなんじゃないかと思う。
この言葉を自分はどういう意味やイメージで使っているのかな?って、具体的に解像度あげて考えてみれるといいよね。

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