何のためになるかわからなくても何かになる。
何かねらってやるというのでなく、なんとなくやったことがあとから役に立つ、みたいなのが好きだ。
ねらってやってみたところでうまくいくかわからないけど、あまり期待せずにやっておいたことが芽が出ると楽しい。
どう結びつくかわからない予想外なところが好き。
なので、気になったり紹介されたり勧められたりしたものをとりあえずやってみるとか、人に会ってみるとか。
特に用がなくても近くにいた人と話してみるとか、全然メリットなくても頼まれたことを引き受けてみるとか。
それはそのときはなんにもならないかもしれないけどいつかの何かの種になる。
と思ってあれこれやってみたりしている。
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実際、そんな感じでできためちゃくちゃ薄いつながりが、のちのち仕事につながったり、ほしい情報もらえたりすることにもなるし。
何かやっておいてちょっと恩を売ったような形になってたことが、あとから何か進める際に役に立ったりもするし。
ちらっと見聞きしたことが、何かをやるときのヒントになったりもする。
直接自分がやってることの役に立たなくても、誰かと誰かをつないだりとか、誰かに情報を渡せたりとかして。
そこで役に立てたことがまた次につながっていったりもする。
たいした効果や成果になるわけでもなく、なんかちょっと便利だったりする程度なんだけど、そういうまわりまわっていく感じはいいなと思う。
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何のためになるかはわからないし、何にもならないかもしれないけど、何かになるかもしれないしそれは自分がもともと想定していないことだろう、という、偶発性がおもしろくて好きだなぁと思う。
偶発性を期待していたらすでに偶発ではないかもとは思うけど。
何のためになるかわからないとやらないとか、費用対効果など考えるとやらないとか、そういう人は多いなと思うのだけど、そんな風になんでもやらないとしてしまうともったいないなと思う。
特に若いうちとかまだ詳しくないうちとかは、ほんのちょっとのつながりとかヒントが大きな違いになるかもしれないし、どうでもよさそうな何かが可能性を広げたりするかもしれないのに。
実際何かいろいろやることがほんとにいいかは、後にならないとわからないし、そもそもそれをいいと思えるようにできるかどうか自分次第な気もする。
でも何かやるかどうか、ってこと自体でなくて、役に立つかわからないようなちょっとしたこととかをやってみれる余裕とか余白みたいなものが、何か生み出したり広げたりすることにつながるのではないかと思う。
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