自分から手を挙げるかどうか。
一歩踏み出せない人にどこまで手を差し出すか、という話。
*
踏み出せる人ばかりではない、がんばれる人ばかりではない、という話が出ていたのだけども、平気でがんばれているように見える人だって、みんながみんな最初から平気なわけでもないし、最初から今くらいできているわけでもないのではないかと思う。
*
話し合いの中で、「役割があれば参加しやすい」という話も出た。
それには同感で、「だから役割ほしくて、はいってすぐ手伝えることに手を挙げた」という話をしたら、「手を挙げられる人ばかりでもないよ」と言われた。
手を挙げられる人ばかりではない、というのはわかる。
だけど、だからこそ、自分から手を挙げたほうがいい、と思っている。
自ら乗り越えるべきとかそういう精神論ではなく、ハードル低くする方法として「自ら手を挙げる」が有効だと思うから。
*
自分から手を挙げるなら、自分ができると思えること、これなら大丈夫と思えることで役割を得られる。
役割振ってもらって、それが苦手だと困るじゃない?それこそ腰が引けてしまうと思う。
出しゃばっているみたいで気が引けるから、残った役割でできることがあれば…と考えるかもしれない。
でもほかの人が先に選んで残った役割って、たいてい大変だったり責任大きかったりしてハードルが高いはず。
自分から手を挙げるのもできない人にできる役割が、残った中にあることはあまりないと思う。(なのでそれを期待しているなら考えが甘いと思う。)
誰かが振ってくれたらやりやすいのに、と思うかもしれない。
でも振る側の立場考えたら、やりたいかどうかわからない人には、振りにくい。いやならやらないでいいよってスタンスだと特に。
*
そう考えたら、結局は手を挙げるのが1番自分が楽なのだ。
だから私は、自分に都合よくするために、手を挙げる。
役割を得て、「ここにいていいでしょ?」「ここにいる理由があるんですよ」と言えるようにするために。
がんばるから手を挙げられるわけではなくて、がんばらなくても大丈夫なように、ちょっとがんばれるところをがんばっている。
何も役割なく何していいかわからずそこにいる、そこでどきどきしてどうしようかと不安になりつつがんばるより、手を挙げてしまったらあとは役割に徹してごまかせる、その役割を理由に話したりできるっていう、その楽さを選んでいる。
*
私はそうだ、というだけで、それがいい、と言いたいのではない。
でもきっと、がんばっているとか平気なように見える人でも、最初はそうやって、自分に越えられる何か見つけて超えてきたんじゃないかと思う。
その人その人で、越えやすい何かっていうのは違うはずだから、越えやすいポイントは自分で見つけるしかないんだよね。