なんで「損した」って思うのか?
昨日皆既月食だったのに、事前にそんな情報も知っていたはずなのに、どたばたしててすっかり忘れて見れなかった。
で、その後ニュースやSNSなどで皆既月食の写真を見て、しまった!と思い、いいな!と思う
。
442年ぶりのめずらしい皆既月食だったんだな、とか、素人でも結構きれいに写真撮れてるのとか、そういうの見て、なんだか損した気分になってしまった。
見たかったな!ってだけで、見れたかもしれなかった、ってだけで、何も損してないのに。
どうしても見たいなら、リマインドかけてでもスケジュールいれてでも見れるようにすればいいはずのことで、そこまででないから見逃してるってことなのに。
そのくせ損したってなんなんだろうね、っていう。
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逆にいうと、できるかもしれないはずのことだったから、損したと思うのだろうとも思う。
こうすればできた、これくらいできるはずだった、って思うから。
これに限らず、手に入るかもしれなかった未来について、実際手に入らないときに「損した」気分になる気がする。
できるだろう、できただろうって、すでに手に入れたくらいの気持ちになってしまうのかもしれない。
こうすればできたはずだ、って思えるくらい、具体的にイメージできるほど、損した感が強いように思うし、自分がミスしたせいで手に入らないのだと思うと損した気になるように思う。
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そう思うと、損したって思うなら、もっと何かできたはずのことなのではないかと思う。
手に入れるために何かができたはず、手からこぼれ落ちないために何かができたはずのこと。
だったら、損したって思う前に、何かするべきで。
損したって思わないようにしたらよかったのだ。
できることをしないで損したなぁとしょんぼりしててもだめで。(できることをしたのにうまくいかなくて損した気分になることもあるかもしれないけど。)
そうならないようにどうすればいいのか、考えておかないといけないと思う。
手に入るつもりでいるから、手に入らなくならないように、って考えられないのかもしれない。
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