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「ほめようとする」のは上から目線。

先日、プロジェクトのふりかえりをしたときに、アドバイザーの方が
「この会社のマネージャーはほめることをしないよね、もっとほめないと!」
と言っていた。
それはいいことだし正しいと思うんだけど、でもなんかもやっとしたのだった。

普通にあたりまえにほめている人にとっては、ほめるのはただほめているだけ、いいところを見つけてフィードバックしているだけなんだと思う。
でも、ほめ慣れていない人に、「ほめるように」させるのは、「ほめてあげる」状態をつくりそうだなぁとも思う。

「ほめる」と「ほめてあげる」のと、同じように見えるかもしれないけど、違うと思う。(ほめる、と言いつつ、ほめてあげる、になってることはありそうだけど。)
自然に思ったことがほめている内容だ、というのと、意識してほめるようにしている、みたいな差。
ほんとにそう思っているのか、ほめるためにほめるところを探しているのか、というような差。
言われる側はその差は気づきやすくない?

「ほめてあげる」というのは、ほめてしまうのとは違って、上から目線だし評価視点な気がする。

そもそも「何かをしてあげる」というのは上から目線だし。
「ほめる」も基本的には上からだと思う。
立場上の方に「ほめる」ことはないよね?「讃える」になる気がする。
友達同士の場合も、自然にほめ言葉が出ているのは「讃える」なんじゃないかなぁ。「ほめる」ときってマウント取ってたりしない?

マネージャーが部下をほめるのは、上からで評価であって正しいのだけど。
「ほめてあげる」になると、単に「ほめる」の評価関係みたいな上下を超えての上から感とか、ほんとに思ってないけど言ってる感があって、もやっとしてしまう。

ほめるべきだからとほめるとか、ほめて伸ばしたいからほめるとか、そういう感じだと、「ほめていることそのもの」でないところに意識が向いている感じで、ほめている言葉が浮ついているような気がする。
言葉に力がなくて届かない感じ。

そういうときは、聞いててもなんだかなぁって思うし、ほめられてるけどほめられてる感が少ない。
ほめようとしてほめてるな、ほめてなんかしたいんだなってわかる。上からコントロールされてる感じがする。

ほんとに思っていることを伝えていて、ついでに何か副産物(伸ばすとか成果とか)を狙う感じなら、ほめられている感がある。
だから、ほめてあげる、とかでなくて、ほんとにほめたいときにほめるのがいいと思うのだ。

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