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見映えがいいのがいいっていう思い込み。

チーズケーキを焼いたとき、ちょっと型のぎりぎりまで入れすぎて、焼いている間にあふれそうだなぁと思いつつそのまま焼いてみた。
そしたら、めちゃくちゃ思いっきり全部あふれてた。

ちょっとあふれたところ、焼きたてのときにぺりぺりはがすのも好きだし、カップケーキにしたときやパウンド型で焼いたときとも違う食感になるのも好きだし。
あふれ方がそのときによってまちまちだし、あふれてどんな形に焼けるかも全部違うから、ふわふわとかりかりとか混ざってたりするのも楽しい。

だから、味見用にちょっとあふれるのは大歓迎なのだけど、まさか全部ここまであふれるとは油断しすぎた。

まんがとか絵本とかで表現される
大げさな感じのあふれる感くらいに
めちゃくちゃ大胆なあふれ方…

小さなカップで焼いた分はおすそ分けしようと思っていたのだけど、あふれたところを取ってきれいに見せようとしても、跡ががっつり残っててきれいじゃない。
家消費用になっちゃうなぁ、と、ちょっと残念な気持ちでいた。

だけど、それならネタにしちゃえとFacebookに載せたら、あふれ方がかわいいとか、あふれたところが食べたいとかのコメントがたくさんあってびっくり。
確かにおもしろいくらいのあふれ方だし、あふれたところ好きだけど、人から見てもそう見えるとは思わなかった。

でもよく考えたら、自分が好きなんだし絵的におもしろいと思ったんだし、ほかの人から見てそう見えてもおかしくない。

多分自分の中では、手抜きしてあふれたっていう感覚があるから、ネタにはなるけど人にあげれないって思っていた気がする。
あふれそうだなって気づいたのに、めんどうでそのままにしたから。
カップを増やして1個ずつの量が減るように調整したらきれいに焼けたと思うし、それだと一気に焼きにくいなら2回にわけて焼けばいいんだけど、わざわざしなくてもなんとかなるだろう、って、ていねいにするよりもめんどうさが勝ったっていうのが、自分の中で罪悪感だった。
人に渡そうとしておいて手抜きするなんて、みたいな。

これもバイアスだなぁと思う。

人にあげるならきれいな方がいいはずだ。
見映えがいい方がおいしそうに見えるはずだ。
気づいたのに何もしなかったのは手抜きでよくないはずだ。
そういう感じの。

でも、おいしかったら見映えそんなに気にしない人もいるし、おいしく見えるものがどんなものかも人それぞれだし、そもそも機械的につくってたりプロがつくってたらこんなのないからめずらしくて好む人もいるだろうし。
いろんな見方があるはずなのに、なんなら自分は好きなのに、勝手にネガティブにとらえてたから気づかなかったんだと思う。

決めつけられるの苦手だしバイアスとか気をつけてるつもりでも、こんな小さなところにも思い込みとか決めつけとか出てしまうんだよなぁ。

意外な反応もおもしろかったけど、それを意外って思う自分の思い込みも見えておもしろかったのでした。

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