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場所が変わったら。

バイトに行く途中の息子からメッセージが入り、「月が綺麗だから時間あったら写真撮って送って」という。

そんなメッセージがきたことにほっこりしつつ嬉しくなる。

月のある空は大好きなので、というのもあるし、空を見ながら、きれいだなと言いながら歩く余裕があるんだなということとか、写真撮って送ってとわざわざ言ってくるところとか。

細い二日月。影の部分の地球照もくっきり。
同じ時間同じ場所で撮ったのに違う色の空。

去年だったらそんなメッセージは来なかっただろうと思うから。

学校には行けなかったけど、バイトには問題なく行けている。

それは、学校とバイトの違いが理由なのかはわからない。
学校はコロナ時に入学で友達もいないってところからだったけど、バイトだってバイト自体もはじめてだし。
バイトは毎日行かなくてもいいし丸一日いるわけでもないけど、自由に休めるわけではない。(学校も自由に休めるわけではないけど、休んでも別に咎めてないので。)

単に時間がたって落ち着いたのかもしれないし、最初に馴染めるタイミングがあったかどうかかもしれないし、うるさく言ってくる外野が減ったからかもしれない。
お金を支払われる責任感というだけかもしれない。

それでも、バイトにはちゃんと行くし、遅刻しそうなときや風邪で休むときも自分で連絡するし(当たり前だけど、でも学校休むときは先生からの電話もいやがっていた)、バイト先の制服やエプロンも自分で洗濯してアイロンかけている。
ちょっとしたことでいちいち反抗的になったりすねたりもしなくなったし、普通に話すし手伝いしたりもするし、自分から勉強したりもしているみたい。

学校がだめだった、バイトがよかった、って話でなく、なんらかの条件だったりタイミングだったりするのだろうと思う。
ほかの学校なら行けたのかもしれないし、コロナ時に入学でなかったなら行けたのかもしれないし、ほかのバイトだと行けなかったかもしれない。

とりあえず事実として、最初はちょっとしぶしぶだったけども今のバイトには行けるしがんばれているし、それにつれてほかのこともいろいろやったりがんはろうとしている。

うまくできないのは、がんばれないのは、場所が合わなかっただけかもしれない。

やる気がないとか、できないとかでなくて、ただ合わないというだけ。
淡水魚が海では生きられないみたいに、合わないところにいたらできることもできなくなるのだ。

家族が、友達が、まわりの人が合う場所だからといって、自分に合うとは限らない。
なんかうまくいかないなら、無理にがんばるのではなくて場所変えてみたらいいと思う。
(もちろんそこでがんばるのが必要なときもあるけども。)

その場所に合うように、その場所で生きられるようにと、まわりがよかれと思って無理にがんばらせようとするのも、やめられたらいいと思う。
もっと世界は広いのに。いろんな場所があるのに。それらを見せてみたらいいのに。

自分の合う場所を選べるように、もっと自由な社会になるといいな。
少しずつそうなってきているとは思うけど、まだハードル高いし子供が自ら選ぶのは難しいので。

合う場所ばかり選んでいたらそれはそれでおもしろくないなとも思うけど、そこはまた別の話。
まずもっと自分で選べるっていうように、どこ選んでも大丈夫っていうように、なるといいなと思う。

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