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その赤はほんとに同じ赤を見てる?
子供の頃、お絵かきしているときとか、絵本の中とかで、太陽の色が赤なのが、不思議だった。
いつも見ている太陽は、赤じゃないじゃん?黄色なのになんで絵本や絵では赤なんだろうな?と思っていた。
今思うと黄色とも違って、白っぽい色のような気もするけど。
少し大きくなって、太陽がめちゃくちゃ熱いことや燃えていることを知って、だから赤色で表現するのかな?とも思った。
だけど、赤に見えている人もいるのかもしれないと思う。
表現の問題ではなくて、そもそも見えている色がそれぞれなんだろうと思う。
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同じものを見ていても、同じように見えているのかどうかはわからない。
というか、まったく同じには見えていないのだと思う。
脳や身体のはたらきとか、持っている知識とか、そのときの状態とかで、認識するものはそれぞれ違うのだろうと思う。
同じ赤色を見ていたって、その赤は同じ赤だと認識しているか?
カーマインとかローズとかチェリーとか、朱色とか紅色とか唐紅色とか、たくさんの赤色の中でどの赤に見えているかそれぞれ違うかもしれないし。
同じカラーコードのこの赤、と見ていたとしてもら、それぞれの人の脳が認識しているイメージが一致しているかどうか、誰にもわからない。
それぞれ人によって違うだけでなく、同じ人でも同じように認識しているのかわからないと思う。
そのときの印象の強さとか、自分の気分や体調とか、そんな条件によってそのときどきで違うように認識しているのではないか。
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そんな風になんでも、同じものを見ているようで、同じように見ていないのだと思う。
同じ色を見ていたって、同じように認識しているとは限らなくて。
同じ言葉を聞いていたって、同じようなイメージを持っていると限らなくて。
同じ文章を読んでいたって、同じような解釈をしていたりするとは限らない。
ひとつひとつ小さなものでもそれぞれ違うのだから、複雑な事柄についてはさらに違うだろう。
同じ話を聞いたから同じようにわかるでしょう、というのとか、同じ場にいたから同じことを見ているだろう、というのは、乱暴だと思う。
ほんとにめちゃくちゃ正確に近いように、同じように理解してほしいなら、ただ伝えるのでも見せるのでもなく、それをどう解釈しているのか、それがどのように見えているのかって、話し合って認識をすり合わせていくしかない。
そして、そのすり合わせした認識さえも、その「同じようにわかった」ものが同じかどうかわからない。
それくらい、同じものを同じように思っているのかわからない前提で、それくらいの気持ちで話したり聞いたりしていくと、コミュニケーションや見える世界が変わっていくのではないかと思う。
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