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感情の共有という価値。

先日、キャリア開発や組織開発の専門家であるエドガーシャインさんが亡くなったという話を聞いた。

シャインさんについてそんなに詳しいわけではないけども、キャリアアンカー理論はよくつかうし、いくつか著書も読んでいる。
数年前にキャリア開発と組織文化についてのセミナーも受講したこともあって、そのときにはお元気そうに見えたし、当時すでに90歳すぎていたのに、オンラインセミナーにも慣れている様子で近年の会社の組織事情などにも詳しく、すごいなぁと思ったのだった。(専門家だから当然なのかもしれないけど、高齢になると新たなツールだの知識だのに疎くなる方もいるのにな、と思って。)

すごい方だなぁと思うので、お亡くなりになったと聞いて残念だなぁと思ったし、いきなりの情報だったのでびっくりもした。

それで、勤務先のキャリアサポート室チャネルとかキャリコンの先輩とかにメッセージしてみたのだけど反応もなく、残念ですよねっていう話もできずもどかしい気分だった。


語りたいというほどでなく(語れるほどでもなく)、でも同じようなテンションで残念だねと言い合いたくて、それができなかったのがさみしかったのだと思う。

情報共有でなく、感情の共有がしたいのだと思う。
感情の共有をすることで、自分の感情を確認したり味わったりもできるように思う。

「わかちあい」ってことだよなぁ、と思いつつ、以前ODNJの年次大会でも「わかちあう」ってテーマのひとつとしてあげてたなと思い出す。
全体の流れの中で「わかちあう」は大事なプロセスとして考えていた。

そのときの写真。
共創をテーマにしていて「しりあう→わかちあう→ふかめる→つながる→つくりだす」っていうプロセスでつくっていったのだった。

共創のためとか、関係構築のためとか、そういうの関係なく、「わかちあう」ってプロセスの意味や価値は大きいのではないかと思う。

感情の共有なんて別にいらないという人もいるかもしれないし、仕事上では不要と考える人も多いと思う。
でも私は必要だし大事だとも思う。

ただ伝えて聞いてもらうっていうのもいいし、それはそれで大事なのだけど、一方通行感があるし。
そうではない双方向でのやりとりで共有しあえるといい。
同じようなテンションでなくても同じ気持ちでなくてもいいのだけど、似たようなボールを投げあって受け取りあってっていう感じがいいなと思う。

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