もっと待ってみたらいいんじゃない?
最後まで聞く、というのは、すごくかんたんに、相手の話を聞こうとしている姿勢を示せることだと思う。
「相手のことを尊重して聞く」とか、「集中して聞く」とか、「マインドフルに聞く」とかよりも、どうしたらしっかり聞く方法のひとつができるかはわかりやすいように思う。
とは言っても、「最後まで聞いてから話しはじめたらいいんだよね?」って、聞き終わる前から言いたいこと考えてたり決めたりしてて、タイミング測るだけなら意味ないわけだけど。
聞いて、それを受けて、言いたいことを考えようか?って話。
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最後まで聞こうか?って思う場面以外でも、もっと待ってみたらいいのになぁと思うことは多い。
問いかけておいて、すぐに答えが出てこないと、自分が答えを言ってしまうとか。
意見を聞いておいて、なかなか話しはじめないと、自分が意見を言いはじめてしまうとか。
話を振ってみて、すぐに反応がないと、すぐほかの人に振ってしまうとか。
会議でブレストなど自由に意見をいうような場で、すぐ次のアイディアが出てこないと、どんどん自分のアイディアばかり話すとか。
何かをするように促してみて、すぐやりはじめないなら、どんどんやり方説明しはじめるなどして強引に進めさせるとか、自分がやってしまうとか。
もうちょっと待ってみたら、話しはじめるとか行動しはじめるとか、するかもしれないのに、待たない。
ちょっとでも間が空いたり時間が空くのが、待てない。
そんな感じのこと、よくあるよね?
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すぐ応えられないのは、考えてないとか考える気がないとかではなくて、ただまだ考えられていないだけっていうことは多いと思う。
考える時間とかって人によってそれぞれで、自分のペースに合わせて決められるものではない。
それに、問いかけたり求めたりする側は、すでに頭の中で何か考えていたり段取り決めていたりするけど、問いかけられたり求められたりする側は、そこから考えることになったりする。
それまでに使ってる時間の差で、体感の時間が変わるようにも思う。
ただ待てないだけ、間が苦手なだけ、という人もいるけど、それは自分の都合だから。
相手のペースがあるのだから、それを尊重できる方がいい。
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待てないということが、考えたり準備したりする時間や余裕を奪ってしまっている。
それは、相手にとっての、考える時間がなくなってデメリットというだけでなくて、関わる人にとっての、よい考えが出てくる可能性が消えるというデメリットになる。
考える間がないと、考えようとしなくなったりして、自主性が奪われる可能性だってある。
さくさくはやく答えたり進めたりする方が、効率よさそうで、はやくできてる感があって、いいのかもしれない。
でも、そのさくさく進むちょっとの効率のために、出てくるかもしれない考えを置き去りにするのは、非効率じゃない?
考える気がなくなったり、自分からやる気がなくなったりしたら、もったいなくない?
だから、もっと、待ってみる、をしてみたらいいと思うのだ。
たった1分とか2分とか待つだけで、どんな反応がくるか変わると思う。
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