月がきれいですねといえる距離。
満月!!
ひさしぶりに、ちょうど夜の時間の満月のような。
満月なのに月が見えないなぁ、雲があるから?と思ったら、真上に雲を超えて明るい月の光があった。
写真を撮るのがスマホになって、カメラを持ち出さなくなってから、月を見てきれいだなと思って撮っても、きれいなままの月が写真には残せないままで。
だから、一緒に見て、または、月きれいだよ!見て!と言って、この月のきれいさを共有したくなる。
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月がきれいだよ!と言えるような相手って、限られているなと思う。
月だけじゃないけど、何かがきれいだとかすごいとか、こんなことあったよって伝えたり聞いてもらいたいのって、誰でもいいわけじゃない。
SNSで不特定多数には伝えたりするけど、それは、不特定多数だからできる(反応気にしなくてもいい、または、誰かしら反応する人がいるだろうと思える)というのもあって、誰かこの人にと伝えるのとは大きな差がある。
たまたまそのときに一緒にいるからって、別に感動とか気持ちを共有したくない相手には、わざわざ言わない。
どうでもいい相手と、自分の感動とか嬉しい気持などを共有したくない。その気持ちが汚されそうな気分になる。いやな気分とかだって共有したくない。なぐさめられるのも共感されるのもいやだ。
自分は伝えたいような、たまたま一緒にいたりしてタイミング狙えたら言ってみて共有できると嬉しいなぁと思うような相手でも、相手がどう思うかわからない、そんなこと言われても反応に困るかもしれない、と思うようなちょっと遠めの距離感の人だと、言いたいけど気軽に言えない。
わざわざLINEなりメッセージなりでいうのはためらう。
趣味が合うとか、ある程度仲いい友達でも、その共通の趣味に関することでなければ、わざわざ連絡してまでは言わないと思う。
仲良い友達の場合は、たまたま一緒にいたら、きれいだね!って盛り上がったりするとは思うけど。いやな気分とかは、友達に聞いてもらったりするけど、ちょっとした、きれいだとか感動とかをいちいち言うとまではならない気がする。
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そう考えると、月がきれい!って言いたいって思えるのは少なくて、言えるって思えるのはさらに少なくて、すごく親しい距離感のときのみなんだと思う。
パートナーとか好きな人とかね。家族の場合もあるかなぁ。
そういう、特別な関係の人。
だから、きれいな月を見るたびに、月きれいだよ、って伝えたいなぁと思ったりする。
そういう、感動をわかちあえる人に、月きれいっていえるのいいよね!
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満月とかのきれいな月の日はいつもこんな風に思うよなぁ、と思って、
そういえば昔もこんな記事書いたような、と思ったらやっぱり書いていた…
いいんだ、似たようなこと書いてたって!と思ってそのままにする。
だって月はやっぱりどう見てもきれいで、月きれいだねって言いたいから。
今日は牡牛座の満月ということで、私は牡牛座なので余計、今日の月のことを書いておきたい気分。