優劣じゃなくただそうあるというだけ。
ひとつの軸で考えるのではなく、多角的に多様な視点で考えられるといいなと思う。
多角的で多様な方が全体を見れるように思うし、偏らないように思う。
モノサシがひとつだと、測れない部分が出てきてしまうし、測れないと考えるときにないもののように扱われてしまったりする。
それと、たくさんの軸がある方が、いい悪いとか勝ち負けとかの、優劣のジャッジにならなくなるように思うのだ。
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資本主義とか弱肉強食とかで、強くて競争力がある方が力を持つようになってるし、生き物として社会の構成物として生き延びるための強さは必要ではある。
だから、優劣や勝ち負けでジャッジすることになるのもわかる。
競争するから成長するし、生き延びるために進化したり変化したりするし、だからそれも必要なんだけど、その基準だけで考えると歪む気がする。
そもそもその基準での強者のモノサシだし、そのモノサシから外れるものを測れなかったりするし、想定外のものは異質として排除されたりしてしまう。
自然界みたいな、強い弱いはあるけど、強いからえらいわけでなく、弱肉強食だったり強い種があったりするけど、そういういろんなものが存在していて全体として成り立っている、そんな感じが健全なように思う。(とはいっても自然淘汰されるものもあるし生態系とか変わってしまうけども。)
ライオンが強い、うさぎが弱い、という話でなくて、強いからライオンだけが残ればいいってものでもなくて、ライオンっていう力も強くはやく肉食の動物がいる、うさぎっていう耳が長くて弱くて草食の動物がいる、という事実があるだけ。
そんな風に、それぞれ、こういう特徴や性質を持つこんなものが存在するというだけで、どれがすごいとかえらいとかじゃない。
ただそういうものがあるってだけで、優劣をジャッジされるものじゃない。
そういう感じのこと。
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人間だって同じように、ただそんな特徴のそんな人がいるんだ、って見ていたらいいのに、と思う。
いちいちなんかの基準でどれがえらいとか強いとか正しいとか、何が普通だとか普通でないとかジャッジしなくていいのに。
ライオンとうさぎほどに違いはなさそうだけど、ぱっと見そんなに違いがなさそうなだけで、それぞれの特徴とか価値観とかすごく違う。
いろんな軸があって、それぞれ違う軸のものは測れなかったり測り方が違ったりするし、見えてなかったり見てもわからなかったりする。
どんな特徴があっても、違っても同じでも似てても、ただ、そうなんだ、ってだけで楽しめばいい。
多様な軸があって統一して測れない前提で見たらもっと平和なのではないかと思う。
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