#77 ピスコの苦い思い出-3
※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです
突然、ここが最高地点に決まってしまった。
頂上や周りの風景の写真を何枚か撮ったけれど、気分はどん底。
ダメ元でファンに「アルパマヨはどこ? 」「ワスカランはどこ?」と聞いてみたけれど、「あの山の向こうだから、ここからは見えない…」と言い、彼の口癖の「Oh! fuck!」という言葉を聞いた時には「それはこっちのセリフだ!」と、さらに怒りが増した。(しかも、後から自分で調べてみたら、ちゃんと遠くにアルパマヨも見えていたことが判明した…)
パーティーを組んだ内のどちらかが下山を望めば運命共同体で、従わなければならないのは前回同様。
それは分かっていたことだけど、日本人的感覚として、もしわたしが先に下山を望んだとしたら、少なくとも相手に申し訳ない思いで謝るだろう、と。なのに、ニコから謝罪の言葉は、ひと言もない。
おまけに、下山が始まった途端、ファンが指示する道を外れて、クレパスの前にできた大きなツララの写真を撮ったりして、俄然、張り切り出したようにさえ見える。
最も急な斜面を下っている時、先頭にいたニコの歩みが急に止まったので何事かと思っていると、まだ斜面の上にいるファンに、また何かを訴え出した。「何が起こったんだろう?」と不安な気持ちでやり取りとりを見ていたわたしの前を、ファンのザイルの一端がスルスルとニコの方へ下りて行き、再び上って行った。そのザイルの先には、ニコのカメラが結わえられていた。
風が強くなってきたせいで、陽が昇ったとはいえ、体感する寒さはぐんぐん増していた。そんな中で、切り立った崖のような雪面を余裕の笑顔で降りている姿を写真に収めたいニコ。そのために、わたしは寒さに震えながら数分間そこに放置された。怒りと苛立ちは頂点に達し、「It’s too cold!!」と二人に向かって大声で叫んでいた。
その後はファンの配慮もあり、写真撮影会になることは無く、雪面地帯を無事下り切ることができた。
今思うと、登頂有無に関わらず、ピスコの山頂近くまで来ることなんて、一生の間に何度もあることではない(一生に一度の可能性だって高い)。登頂を諦めたとしても、気持ちを切り替えて周りの風景を楽しんだり、ニコが写真を撮るのを温かく見守ってあげるべきだった。実際、彼はわたしよりもずっと良いカメラを持っていたから、写真を撮るのが好きなのは分かっていた。でも、その時のわたしには悔しさと誰にもぶつけられない怒りに溢れていて、大人の思考をすることができなかった。
雪面が終わり、再びガレ場が始まった。
行きは暗闇の中で、ここを4時間歩いた。ということは帰りは3時間くらいかかるだろうか?
あるいは、下りの方が足場がより不安定で、行きよりも時間がかかるかもしれない…。今の気分と残りの体力を考えると、憂鬱な気持ちはふくらんだ。
プラスチックブーツが小さくて足が痛いと言っていたニコは、ガレ場に入ってザイルを外し、自分の靴に履きかえると、行き同様の軽い足取りで、わたしとファンをおいてすぐに姿が見えないくらい先に行ってしまった。
ここまでは色々と黒い思いでモヤモヤしていたわたしだったけれど、すぐに、この道のりに集中しなければならないことに気づかされる。行きは暗くてよく見えなかった岩場と砂利の道が、明るい中ではっきり見えてくると、かえってわたしの恐怖心をあおった。歩きながら、何度か聞いた不気味に響き渡る落石の音。
ここではわたしのプライベート・ガイドにようになっていたファンは、ワイナポトシに登った時のパオリーノ同様、転びそうになるわたしに何度も手を貸してくれて、感謝せざるを得なかった。
行きに命懸けの思いで下った岩の壁が、ついに再び目の前に現れた。ここではさすがにニコもファンとわたしの到着を待っていた。この垂直に見える壁を、登らなければならないんだ…。
手の平ににじんだ汗が滑り止めになることに感謝しつつ、ファンの「Same rock climbing!」という言葉に、「I have never done rock climbing!」と必死なくせに、ピントのずれたわたしの反論。それでもどうにか登り切ることができて、ここまで来れば、無事ワラスに帰れることを確信した。ひと休みするわたしとファンに、ニコは何かを告げて、再びベースキャンプへと足早に下りて行った。
13時過ぎ、ベースキャンプ到着。
登頂はならなかったけれど、これまでで最も辛かった約12時間の歩行に「自分を褒めてあげよう」という気持ち。
ベースキャンプに戻っても姿の見えないニコのことをファンに聞くと、返ってきた答え。今回、最大の驚き。
「ニコは一人で先にワラスに戻った。今日のリマ行きのバスに乗るから走って帰ると言っていたよ。」
「He is CRAZY!」
全てを悟った瞬間。一泊二日で申し込んで、今日中にリマ行きのバスに乗りたかったニコ。
「靴が小さくて足が痛い」というのは下山の本当の理由だったの??
もしもあのまま登頂を目指していたら、時間的にバスに間に合わないから、適当な口実をつけただけじゃない??
放心、脱力、そして疑念と後悔の渦…。 しばらくは何も話すことができなかった。
ニコが一人で戻ってしまったことで、今日中にワラスに戻る必要が無くなったファンは「次のガイドの予定も確定していた訳じゃないし」と、なんだか最後まで適当な感じのことを言い、ベースキャンプにもう一泊して、明朝に出発することになった。
その夜はテントの中で何度も「ピスコはだめだったけれど、次はヴァジュナラフ(5,686m)に登ろう!」と誘われたけれど、わたしのテンション・体力共にとても挑戦する気になんかなれなかったので、丁重にお断りして、とにかく気持ちを切り替えることに努めた。
結局、わたしにとっては予定通りの二泊三日ツアーになった。
ベースキャンプで一晩休むと、ずいぶん気持ちも落ち着いてきて「これ以上ゴチャゴチャ考えてもしょうがない」と思えるくらいにはなったので、ワラスに戻ってからも旅行会社に談判しに行くことはせず、不満な気持ちを引きずることに終止符を打った。
今回のことで、自分の確認不足と心の余裕の無さからくる狭量を思い知った。
日本と違って適当な対応に放り投げられがちな海外では、しつこい程に確認し、予想外の(良くない)展開を、自分で防ぐしかない。それでも防ぎきれないことは多々あるけれど。
そして登山の場合、登頂することを最優先するならば、お金を節約するよりも、プライベート・ガイドを雇うしかない。そうすれば少なくとも、同じパーティーの誰かのせいで強制下山になることはない。ただ、そこまでしたとしても、当日の天候やその他の理由で登頂を諦めなければならない場面はあり得る。
だから、たとえ自分に責任はなく、全く意図しない理由で登頂を諦めることになったとしても、できるだけ早く気持ち
を切り替えて、その先を楽しむことが重要だ。それができないなら、今後、山なんて登らない方がいい。
今回は色んな意味で良い教訓を得た。
そう結論づけることで、自分を納得させて、わたしはピスコに別れを告げた。