#40 ネパールの小さな村でホームスティ
※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです
カトマンズの宿で知り合ったヤムさんは、ここで働きながら大学に通っている学生だった。
12月のカトマンズは、常夏の南インドから飛んで来た身にはとても寒さがこたえ、わたしは暖房の無い自分の部屋には、寝る直前まで戻る気になれなかったので、いつもロビーの共有スペースで(ここも暖房は無かったけれど、自分の部屋よりはいくらかマシな気がした)、眠たくなるまでパソコンをいじっていた。そんな時、毎晩ロビーにいるヤムさんとポツポツと話しをするようになった。
彼は夜~朝の受付が担当で、たまに夜中や朝方にやって来るお客のために、夜はロビーのソファで眠っていた。この宿も日本人旅行者がかなり多く来るらしく、オーナーも日本語を話せたし、ヤムさんも簡単な会話には十分な日本語を話すことができた。
2013年の年越しをポカラで過ごそうと思っていたわたしが、チトワンからポカラまでのバスでの行き方を相談した時、ちょうど同じ時期にポカラに行く途中の町にある実家にヤムさんも帰省することになっており、「良かったら一緒にうちに来て、泊まっていかない?」と誘ってくれた。
その時は、夜に世間話をするくらいでそれほど親しいつもりはなかったので、かなり驚いた。けれど、彼の様子は社交辞令っぽくなかったし、旅に出て半年ほど経ち「できるだけ流れに身を任せてみよう」という気になっていたわたしは、二つ返事でその提案に甘えることにした。
約束の当日、チトワンからポカラに向かう途中のドゥムレイという町でバスを降りた。そこでヤムさんと落ち合ってバスを乗り換え、ヤムさんの故郷の町にたどり着いた。段々畑が広がり、家々の向こうには小さいながらも山並みが続き迫りくる風景。わたしはそれがすぐに好きになった。
いくらわたし自身が”流れに乗ってみようモード”になっているとはいえ、久しぶりに帰省する息子が、突然、外国人で、しかもかなり年上の女を連れて来たら家族はどう思うんだろう…と今さらながら心配になったけれど、そんなわたしの気持ちをよそに、緊張しながら挨拶をすると、極めて自然に迎えてくれた。
ネパールの人々は、インド人に近い顔立ちと日本人に近い顔立ちに大きく分かれることを、ネパールに来て初めて知った。ヤムさん一家を含めてこの町の人たちは(基本的には同じ部族に属する)、完全に日本人に近い東アジア系の顔立ちだったから、見た目でわたしが浮いてしまうこともなかった。加えて、わたしの心配を察したヤムさんは「両親にはちゃんと”友達”を連れて帰る、”彼女じゃない”と言ってあるから、安心して」と説明してくれた。わたしよりもヤムさんのために、それはとても重要なこと!とすぐに心の中で応じたけれど。
一泊二日の短いホームスティだったけれど、思いのほか濃密な時間だった。ヤムさんが生まれ育った山の上の村まで連れて行ってもらって(これが運動不足のわたしには十分ヘトヘトになるトレッキングにだった!)、ヤムさんの幼馴染の家に泊めてもらったり、手作りのロキシー(ネパールの家庭で作られる蒸留酒)とバッファローの肉を焼いたおつまみを何度もご馳走になったり、日が沈んだ後は、無駄な電灯がいっさい無い真っ黒な夜空に、満天にちりばめられた星が輝いていたのを眺めたことは、忘れられない。
翌朝には、目の前に広がるヒマラヤの山々から昇る朝日を浴びながら、キンと冷えた空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
そして、二人並んで白い息をはきながら、歯磨きをした。
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