#101 アドリア海の真珠から
※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです
「魔女の宅急便」のモデルになったとも「紅の豚」のモデルになったとも言われるクロアチアのドゥブロヴニク。
ここバルカン半島では大人気の観光地で、これまでに写真でも数えきれないほど目にしてきた有名すぎるオールドタウンの風景。例によってアマノジャクなわたしは、多少いぶかしみながら訪れたのだけれど、実際に自分の目で見て、うん、確かに訪れる人が後を絶たないのは納得できる、と思った。
旧市街の造りや広がり方といい、規模といい、旧市街をぐるりと囲む城壁を登って見下ろした時のあのオレンジ色の瓦屋根がデコボコと立体的に広がる景観といい、これまでにヨーロッパの西の国々でいくつも見てきたオールドタウンとは異なるハツラツとした陽気さ感じる風景。鼻歌を歌いたくなるような雰囲気。訪れた時期も良かったんだと思う。3月半ばで、暖かい日なら、上着を脱ぎ去って街を闊歩したくなる季節だった。
そんなドゥブロヴニクの旧市街をあの有名なアングルで眺めるのにぴったりの小高い丘、スルジ山がある。当然わたしは歩いて登ったのだけど(汗をかくことなく優雅にそこへ向かう人たちのためのロープウェイもある)、そこにはひっそりと戦争博物館というのがあった。
恥ずかしながら、わたしはドゥブロヴニクを訪れるまで、ここクロアチアが旧ユーゴスラビアの国であること以外、歴史についての知識をほとんど持ち合わせていなかったのだけれど、1991年というわずか二十数年前に、ユーゴスラビア崩壊に伴う紛争で、この太陽に愛されているような美しい街の7割以上が破壊される悲劇を経験しているのだ。
スルジ山の上にある要塞が博物館になっていて、当時の戦争の被害を赤裸々に示した写真や映像、それを説明するパネル、武器や地雷などが展示されていた。3月半ばでも旧市街には観光客は大勢いたけれど、ここ戦争博物館を訪れている人はそれほどおらず、内部もひっそりとした雰囲気だった。わたしの場合、英語のパネルを読むのにいつも時間がかかるため、自分のペースでゆっくりと巡り歩くのにはちょうどよかった。ここは元要塞だけあって、石造りの重厚な建物なのだけれど、通気性がよくないのか、石のむき出しになった通路の壁からはジメジメと水が染み出していたり、滴り落ちてくる所もあって、博物館の内容と併せて気分は暗く沈んだ。
時計塔までまっすぐに伸びた旧市街のメイン・ストリート。今日も大勢の観光客でにぎわっていた。
そのメイン・ストリートが、目の前の写真の中では、爆撃を受けて炎を吹き上げている。
あの美しい石畳の通りが、わずか二十数年前に…?
歴史というにはあまりに近い過去の時間(その頃わたしは日本の北海道で素朴な中学生活を送っていた)に、そんな事実があったことを見せつけられただけでなく、わずか二十数年で紛争前の美しい姿を見事に蘇らせ、そんな事実さえも知らない多くの観光客を魅了し続けている。
ふと思ったのは、わたしが旅をしている2013年から2015年の現在、まさに出口の見えない紛争のさなかで、旅行者としては絶対に立ち入るべきではないシリアやイエメンのこと。この二カ国はもう数年前からずっと行ってみたいと強く思っている所で、この長期の旅にでる前にも何度かツアーで行くことを検討したことがあったのに、なぜかいつもチャンスが実らなかった。そうこうしているうちに今はもう近づくことすらできず、今後いつ、旅人が入れるようになるかもわからない。
けれど、旅人目線のまったく身勝手な妄想かもしれないけれど、紛争から解放され、復興を目指す人々のパワーが集結すれば、そう遠くはない未来にアレッポやダマスカスや、サナアを訪れることができる日が来るかもしれない。そう遠くはなく…
***
わたしの中でドゥブロヴニクのお気に入りは、レストランやお土産やさんの並んだ通りを抜けて、旧市街の中心から城壁に向かって何本も伸びる階段状の細い小道を黄昏時に歩くことだった。陽が落ちて夕闇が街を取り巻き始めると、石畳の通りに浮かぶ街灯がポゥとともり、家々の小窓からは台所の準備をするざわめき、どこからかピアノの練習をする音が流れてくる。横を子供たちが駆け抜けて行く。
そんな通りをあてもなくぶらっと歩いていると、なんとなく満ち足りた気分になった。