#104 混乱
※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです
トルコって、見所は豊富だし、ご飯は美味しいし、ヨーロッパの西側の国に比べれば物価もそこそこ安いし、誰か興味のある人から聞かれれば、もちろん「オススメだよ!」と答えると思う。けれど正直に言うと、わたしにとっては複雑な思いが残る国になった。
イスタンブールから始まって、セルチュク、パムッカレ、アンタルヤ、カッパドキア、アンカラと訪れた場所は首都のアンカラ以外、全て名だたる観光地。当然、観光客をカモにした出来事は覚悟すべきなんだけれど、これまでに訪れた国で経験してきたことと今回ちょっと趣が違っていた。
「トルコは親日国だ」とか「トルコで日本人の女の子はモテる」なんて話はよく聞いていた。実際「Where are you from?」と聞かれて「Japan」と答えると、笑顔で迎えられてチャイをご馳走になったことも何度かある。でもそういうやり取りが度を越すと、その先にどんな狙いがあるんだ?という不信感と断る労力による疲労感で、結局はずっしりと重たいげんなりだけがあとに残るのだ。
ある街で入ったカフェ兼レストランでは、ちょっと時間を潰すだけのつもりだったので、とりあえずチャイだけを注文すると、一緒にお菓子が運ばれてきた。「From us!」と笑顔でウエイター。素直に「Thank you」といただくと、そこからが大変だった。せっかく一人でゆっくりできそうなカフェを選んだのに、やれ「名前は?」「一人か?」「自分のシフトは5時に終わるから、その後一緒にお酒を飲みに行かないか?」と、わたしのテーブルから離れようとしない。ようやく彼がいなくなったところで5時も大分過ぎてから店を出ると、なんと! 店の前で待っていて、再び「一緒に飲みに行こう」「車を持っているから街を案内してあげる」「2分だけでいいから時間をくれ」としばらくついて来られて、振り切るのが大変だった。
そのお店、食事のメニューを見るとそこそこの値段のお店だったのに、そこで働くウエイターが、客に個人的にそんなしつこいアプローチをして許されるのか?と品位の低さに驚きあきれてしまった。
次に訪れた別の街でのこと。泊まった宿に「有名な見所ポイントのゲートまでの無料送迎」がついていたので、チェック・インしたその日にお願いしてバイクで送ってもらった。これは別にわたしが特別サービスを受けた訳ではなく、お願いすれば誰でも利用出来るサービスなので(実際、予約サイトのレビューにも利用客のコメントが書かれていた)、安心して頼んだのだ。
すると、バイクを停めた場所からゲート前までの道のり、乗せてくれた宿の男性が、突然「腕を組もう」と言いだして、わたしの手をとった。
私「いや、いや、いや、いや…(苦笑)」
男性「いいから、組もう」
私「いや、いや、いや、いや! (拒絶!)」の応酬
またしても「6時に仕事が終わるから一緒にご飯を食べに行こう」と言われて、断ると「Why??」の追及。本当はここに二泊するつもりで来たのに、もう宿を替えるのも面倒になって、結局一泊で逃げるように出るハメになった。
とある街では、オープンしたばかりのきれいな宿が見つかって、一目で気に入った。ここのオーナーも男性。早朝に着いたわたしにその日の朝食をサービスしてくれたり、見所を細かく説明してくれたり、夕方にはサンセット・ポイントまで案内してくれたり。オープンしたての宿だから、色々とサービスに力を入れているんだろうなぁ、と最初は思っていた。ところが、話す機会が増えて、(彼の中で)親しみが増してくると、様子が変わってきた。
近所の宿の話題が出た時のこと。
「あそこの宿は、オーナーの奥さんが韓国人なんだよ」「『韓国語が通じる』ことをアピールして、インターネットでの宣伝にも力を入れていて、最近は韓国人ツーリストでいつも賑わっているんだよね」
「ふーん」と別にそれほど興味も示さず聞いいていると、突然、
「君は好きなだけここに居ていいんだよ」
「うちの宿に住んで、インターネットを使って宣伝して、日本人のツーリストを沢山招き入れない?」
「あっちが韓国人宿だから、こっちは日本人宿にしよう」(笑顔)
「へ?」「 なんでわたしが…?」
たとえば、わたし自身がこの土地にものすごく惚れ込んだとか、あるいはこのオーナーと恋に落ちたとか言うなら話は理解できる。でもこの宿に来てまだたったの二日目(いや、当日のことだったかもしれない)。「ここが大好きだからずっとここに居たいの!」的なアピールをした覚えは全くない。いや、本当に自信をもって、全くだ。
もぅーーー、それ以降のわたしが不信感の塊になったと言っても、誰も責めはしないだろう。
「明日はサンセット・ポイントに赤ワインを持って行こう。ロマンチックになれるから」と言われれば
「I don’t need romance! (キッパリ!)」
「ある友人(トルコ人)の今の彼女は、旅行者でここに来た日本人。彼が欲しがっていたラジコンを、最近彼女が日本から買ってプレゼントしたらしい」と聞けば、「結局そういうことが目的なのか!?」と強まる不信感。でもあまりに平然とこういう発言をするところ、素直な性格なのか、詰めが甘いのか…。
繰り返して言うけれど、独身の男女が旅先で出会い、それがたまたま宿のオーナーと旅人で、恋に落ちて、将来を誓い合って、彼女がその地に落ち着いて一緒に宿を営んでいく、という形は十分にあり得る話だし、実際にここトルコでそうして幸せに暮らしている女性の話を聞いたばかりだった。
だから余計に、わたし自身に降りかかったこの展開、自分の運の悪さを感じて心底落ち込んだ。「わたしを何だと思ってるんだ?」「日本人旅行者を誘致するための道具か??」と。
けれど、オーナーと一緒にこの宿に住んでいたご両親が、わたしの気持ちをいっそう複雑にした。どちらも英語はあまり話せなかったけれど、お母さんはいつも笑顔をたたえていて、昼食や夕食の時間にわたしが宿に居合わせると、手招きでテーブルによんでくれた。そこには直栽培の食材で手作りのトルコ料理が所狭しと並んでいた。一見ぶっきら棒な風貌のお父さんは、テラスにわたしが一人でいるのを見ると、よくチャイとビスケットを運んできてくれた。お母さんの柔らかく温かい微笑みを見るたび、年齢は全然違うのに、亡くなった祖母のことを思い出した。
チェック・アウトの当日、このご両親にいろいろお世話になったのでお礼の挨拶をすると、「ちょっと待ってて」とお母さんが奥に走って行った。戻って来た手にはこの土地の民芸品。「またここに戻って来て」の言葉。お父さんからはボソッと「ここに留まらないか?」という一言。
最後にお別れの握手をすると、お母さんは口に手を当てて、わたしの目の前で泣き出してしまった。それを見て、思わず溢れ出してくる涙を、わたしも止めることができなかった。
何をどう解釈し、信じて良いかもわからず、わたしは深い混乱に陥った。そしてその後しばらくは、その混乱から立ち直ることができなかった。