#96 カランクを巡る
※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです
フランスに来るのは、今回が二度目。
イタリアを出た後、まずはニースへ行ってみよう、ということは決めていたのだけれど、その後のルートは全く未定。去年、ペルーのチャチャポヤスでゴクタの滝を見に行った時に知り合ったフランス人のセバスチャンに「オススメの場所はある?」と久しぶりに連絡を取って聞いてみた。すると意外にも(というのは失礼か、、、)即座に、あれこれと詳しい情報を書いて送ってくれた。
彼の薦めに従って、ニースから向かったのがマルセイユ。マルセイユ自体は地中海リヨン湾を臨むフランス最大の港湾都市で、商工業の中心地でもあり、治安があまり良くないことでも有名な街。ここからバスで一時間ほど南に行った所にあるカシ(Cassis)という町のカランク(入江)が美しいという。カシへの行き方は、マルセイユの港の近くにあるインフォメーション・センターで、丁寧に教えてくれた。
カシ自体は小さな町なのだけれど、フランスでは有名なリゾート地らしく、港沿いにはレストランやお土産屋やホテルが建ち並んでいた。けれど、わたしが訪れたのは1月だったので、観光客らしい姿はほとんど見かけず、とてものんびりした雰囲気だった。
さて、カランク巡り。方法は二つあって、ボートで巡るか、歩いて巡るか。
ボートだと、乗船時間と巡るカランクの数で料金が決まり、複雑に切り込まれた入江の断崖絶壁を海側から眺めることができる。徒歩だと、わたしが予定していた半日で周れるのは3つほど。迷うこと無く、はなから徒歩と決めていたので、カシに着いてすぐに、インフォメーション・センターへ行って地図をもらった。この地図、そこそこ詳しく書かれているのだけれど、相当な方向音痴を自負しているわたしには、実際のところ、この地図だけで目的のカランクを周りきるのはおそらく不可能だったと思う。幸いにも、スマホにオフライン・マップのアプリを入れていたので、GPS機能とオフライン・マップのトレッキングルートを頼りに進んで行くことができた。
巡ったカランクは3つ。ポール・ミュー(port-miou)とポール・パン(port-pin)とダン・ヴォー(d’En Vau)。
オフシーズンの観光客はほとんどいない時期だったので、住宅街を通り過ぎてからは、歩いている間に人に会うことはほとんどなく。二つ目のポール・パンでわずかに足を水に浸している女の子たちと、釣り糸をたらしている男性を見かけたくらいだった。ここ、夏場は泳いでいる人も結構いるらしい。
このカランク巡り、この旅の中で見た海の景色の中で、堂々のナンバーワンに君臨するに至った。元々わたしはそれほど海やビーチが好きな方ではなく、山の景色の方がずっと好きなので、綺麗な海を見ても「確かにきれいだね」と、いつも割と冷静に思うくらい。なのにこの時は、特に三つ目のダン・ヴォーでは、周囲にわたし以外誰一人おらず、風が強くなってきたので吹き飛ばされないように注意しながらも、深く複雑に切り込まれた入江の崖の上からおそるおそる見下ろした時、遥か下に見える濃い碧色と翡翠のような緑色のグラデーションの海が、圧倒的な感動をわたしにもたらしてくれた。
港への帰り道。一つ目のカランクまで戻って来た時、行きは入江の上からヨットを見下ろすように歩いたので、帰りは気まぐれに、下まで降りて歩いてみることにした。所狭しと停められたヨット。人の姿はない。そこへ近づくにつれて大量に並んだヨットから、マストとロープが擦れ合って奏でられる、まるで鈴のような音が聞こえてきた。
カラン カラン カラン… カラン カラン カラン カラン カラン…
デジャヴ(既視感)だ。
しばし立ち止まって考えて、思い出したのは、ミャンマーのカックー遺跡を訪れた時に聞いたあの鈴の音だった。
涼しげで、どこか懐かしく、深いリラックスに包み込まれる。
ここに立ち止まったまま、いつまでもこの音の中に浸っていたい。
カシのカランク巡りはこの旅の中で特別な思い出の一つなので今でもよく思い出すのだけれど、決まって、美しい入江の風景と、無数のヨットが奏でていた清涼な音の波と、懐かしいカックー遺跡の風景がオーバーラップして瑞々しくわたしの頭の中を満たしてくれる。
ひとつ悔やんでいるのは、カシ行きを日帰りにしてしまったこと。
治安があまり良くないと言われるマルセイユに夜遅くに到着するは避けたかったので、5時くらいにカシを出発するバスに乗ってマルセイユに向かったのだけれど、途中の海辺を走っていた時に見た夕陽の風景が忘れられない。
これまでにも海に沈む夕陽は数え切れないほど見てきた。そのどれとも違う。不思議な桃色にそまって煙るように霞んだ水平線に、橙色の太陽がゆっくりと沈み込んでいく。
この太陽は、慌ただしくバスの中から見るのではなく、静かな港にたたずんで明日へと見送るべきだった、と思う。
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