マウンティングへの言い訳
「素敵な友達が多いよね。まきは何もしてないのに、なんで皆いい人なんだろうね」
おおぉぉい、こいつは何言っとるんだ?!
とは口にしなかったけど
「どういう意味?」
と冷静に確認した結婚2年目時の我が家。
真顔で発する夫の言葉に変顔で応じた。
よくよく話を聞くと
“なぜ性格が良くないのに、
周囲に良い人ばかりいるのか”
が腑に落ちないようだった。
驚いた。
だって私、妻よ。まだ結婚2年目よ。
性格の悪い女と結婚したのかい、
と悪態をつきそうだった(たぶんついてる)が、確かに夫は、私をよく知らないまま結婚してるから。そういう意味ではサッサと結婚した私は正解だし成功している。
当時の彼は、私から見下されてると感じ嫌だったよう。2年目もポイント。
結婚後やっと一緒に暮らし始めて、お互いの様子が詳細に見えてきた頃だ。
自然にマウンティングしてるし、
俺のことは見下してるし、
うんぬんかんぬんとぶつぶつ言う。
えっ、私性格悪いやん・・・。
友達には非常に恵まれている。
間違いない。
でもそれは、私も性格が良いから類友じゃないかくらいに思ってたよ。
「周囲が良い人たちってことは、私にも良い所があるってことじゃない?」
と熱弁したが、全く刺さった様子はない。
「おいっ」
どつきそうになったが逆効果になろう。
◆
今年で結婚5年目。
夫への尊敬度合いが純粋に増したことを彼も気づいている様子。だからもう見下されてる感はなかろう。
そして、私も意識変化がある。
まず夫から言われたことを一旦受け止めることにした。(表面的には受け取ってなく反発してる。)戸惑う指摘が多いが、最も身近な人の言葉ほど芯を突くものはないはず。
そうすると、確かに自然とマウンティングしてたり、見下してたりすることあるかもしれないなと思い直すことができる。
先日、自分の中に潜むジャイアニズムを晒して書いた。友人や知人に「私はジャイアン気質です」と言うのは平気だが、公の場にわざわざ書いちゃうところが痛い、と言う意味で晒す勇気がいった。
もっと恥ずかしいのは、
自然にマウントしちゃう人間だということ。
無意識にマウンティングしてるとか、めっちゃ恥ずかしい。
日常で婚約指輪をギラつかせてる
旅行や頂きもの、美味しいものをSNSにアップ
夫や娘との些細な出来事を喋ったり、SNSにアップ
自然にマウントしてると言われた内容。たいていダイヤはつけてるし、旅行するとSNSにアップするし、何なら何気ない日常のアップがほとんど。SNSの発信8割が夫か娘のことよ。
夫のマウンティング理論からすると、私はマウンティングばかり。
だが言わせてくれ。
ダイヤが無性に好き。毎日つけたとしても価値が落ちづらい貴金属の良さ。経年劣化も少ないコスパの良さ。だからできる限りつけさせて欲しい。
「結婚しても毎週末つけるから欲しい」とおねだりした約束をまぁまぁ守ってるし、何よりテンションあがるのよ。
ハレの日もケの日も記録が好き。夫と娘のことを今一番残したい。だって好きなんだもの。
SNSをしない彼からしたら
SNSのほぼ全てがマウンティングに
他ならないそうだ。
確かにそうかもしれない。指輪なんてマウントの証と言われたらそれまでだし、夫や娘大好きはあまり面白くないかもしれない。
独身時代、結婚して何年も経つ友達と遊ぶとき、婚約指輪をキラッとさせてる彼女が素敵だった。爪先まで行き届いてる様子や指輪のエピソードも聞けて嬉しい気持ちになれたんだけどな。友達だからだったのか、いやそうじゃない。
◆
ところでマウントした・されたの定義はどこだろう。
対人関係において、自分の優位性を示そうと自慢したり、相手を貶したりすることを指す言葉をマウンティングというようだが何で決まるのか。
セクハラと同じように、された方が“セクハラ”と感じたらセクハラになるパターン?!
嫌だったら、伝えるなり離れるなりするのが互いのため。でよくないか。
タイトルを書いてから書き出すことが多いんだけど今日は書いてなかった。
読み直してみて、なんか言い訳だなと思ってこちらのタイトルに。
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