ひたすら『自分』を主張した2022年前半
今日はとある講座の最終日。
自分の使命やら、天命やらといった人生に向き合ってきた半年。
これが私の天命です。
が見つかったわけではない。
この講座に限らず、この半年はひたすら自分という人間に向き合い、かつ主張した半年だったな。なんて、ちょうど半年が終わる日なので振り返ってみたりしている。
親友からもらったお財布と結構な現金を落とす
から始まった2022年。
“あれ、何か様子がおかしいぞ”と思えたからこそ、自分とはなんぞやみたいなところを深堀し、巨大迷路に迷いつつ、まぁなんとか息することができるところまで浮上してきた感覚。
半年間で出てきた自分は、
ネガティブだったり
毒舌だったり
ジャイアンだったり。
一言でいえば、見たくないもの一色。
敢えて見たくない所を掘り続けていった感じ。
半年やって、発掘作業をひと段落させてもいいいかなと。
一緒に講座に参加してる方と色んなワークをする。今日は、よくペアになる、お互いの普段を知らない方から受けたフィードバックの中に
があった。
わざわざ自分を隠そうとしなくても
知らない人にも、自分という人間の姿が露わになってる。
率直なフィードバックが嬉しくて爆笑。
6月の初めに書いた自分のトリセツと
感情がカオスになりがちな半年間にギャップを感じていたんだけど、自分とは○○である。なんて一言ではまとめられないんだなと。
みんなまとめて、みんな自分。
どれもこれもオールOKだね。
半年のまとめは、こんな感じ。