怖くても発信する。怖さを超えた勇気に与えられたもの
意図的に書いてなかったFacebookを、1年半ぶりに更新して3週間。正確には、更新する勇気がなかったんだけどね。
会社をこっそり辞めてること、娘が2歳になったこと、スピリチュアルなことをやっていきたんだってことを書いた。誰からも反応してもらえなかったら怖いから、娘の写真を載せたり、退職報告をオブラートに使ったりして。
見えない精神世界と共に生きていく
を表明するために、わざわざ投稿した。
Facebookにただ表明するだけ。それだけのことに、決意してから半年も要した。怖かった。だってFacebookは、『よそいきのすべての顔』といっても過言ではない場所だから。
理想と現実、思考と直感、相反する二つの矛盾の世界で悩みながら生きてきて、結果として生きる世界も2つになった。リアルな人間関係+Facebookと、その他のSNSの世界。
居場所や世界なんていくつもあって当たり前、一つの顔だけで生きてる人の方が少ないからと、ずっとA面・B面と分けて過ごしてきたけれど、二つの世界を統合しない限り、成長の頭打ちが見えてるし
すべては繋がっている
人生すべてネタ!
と大切にしている価値観を体現していけないじゃないか、というのに気づいたのは最近のこと。
たった数行を使って、スピリチュアルな方向性に行きたいとFacebookに投稿した文面。それだけで、何人かの人が直接声をかけてくれ、今日もその内の一人と対話した。前職同期の彼女は、圧倒的知性のマリア様。
“わざわざ投稿していた”ことに気づき連絡をくれた。あちこち話を飛ばしながら好き勝手に語る私に、投稿の意図や気持ちの変化などを上手に質問してくれる。過去世の話題についても、新しい解釈のヒントを与えてくれたり、“そんな角度から質問くるか~”と、興奮しっぱなしだった。(好き)
◆
怖くて怖くて一歩が踏み出せなかったことを、ただ一度超えただけ。
踏み出した勇気の果報は大きい。
反応してくれる人がいる。
わざわざ連絡してくれる人がいる。
怖さを理解してくれる人がいる。
人や本を紹介してくれる人がいる。
進みたい方向性を応援してくれる人がいる。
すべて、人がつなげてくれたこと。
ホント私、幸せ。
怖がってた一歩。大したことない(苦笑)
でもできないんだよね~。なので、無理やり背中押してくれそうな人と知り合いになるは、有効です。私も押せる人です。
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