秋に聴きたい わたしのお気に入りドラクエ音楽 夕ぐれ時、部屋の窓を開けたある日に、それまで夏の蝉の声が聞こえていたのが、鈴虫のそれへと切りかわる瞬間を聴きました。「あっ!いまこの時に季節がかわった!」って思いましたね。2週間ほど前だったでしょうか。 小さい秋見つけた、という歌がありますが、休む間もなく熱気や雷雨で攻めてくる夏の派手さにくらべると、秋はたしかに”小さい”な、と感じます。 さて、そんな今日この頃聴きたくなるゲームミュージックは何でしょうか。わたくし本日も、
戦争関連作品とわたし わたしは戦争の頃を全く知らない世代ですが、どういうわけか、幼少時から戦争にかんするトピックに関心を示す子どもでした。 小学生の頃、国語の教科書には戦争関連のお話がかならず1篇以上掲載されていました。毎年4月になって学年が上がり、新しい教科書が配られると、すぐに戦争のお話を読むのがわたしの春の習慣でした。 低学年時の教科書に載っていた「かわいそうなぞう」や「おかあさんの紙びな」、すこし学年が上がってからは今西祐行「一つの花」、原民喜の詩「水ヲ下サイ」
東野圭吾作品と私「マキさんはどんな小説を読みますか?」と聞かれると、なんと答えようか一瞬迷う。とても立ち話ていどでは語りつくせるはずもなく、「えーと、ちょっとそのへんでお茶でも」となってしまう。けれど今だとなかなか気軽に茶飲み話もできなくて、だからそんな話を、今日は書きたいと思う。 好きな小説を聞かれた私は迷った末にひかえめなフリして「東野圭吾さんとか…」と答えるがこれはほんのジャブである。わたしの家には東野作品が40冊以上あるし、何回も読み返している作品もたくさんあるし
毎度毎度、noteの内容がはげしく変わるわたしです。 だいじょうぶですか? みなさんついてこれてますか? いいんです、わたしもよくわかりません。 まあとりあえず今日は暑いし、つめたいお酒でも一杯やりましょう。 いつものような長い文章は一休みして、今宵は”聴いて”もらえたらと思います。 わたしね、じつはピアノをたしなむゲームオタクなんです。 ゲームしていて、好きだなー、いいなー、と思った曲は聴くだけじゃなくて弾きたい。 自分のものにしたい♡と思ってしまいます。 で、しこたま
私は東京居住歴のべ15年にもなる。だから自分でも、さも都会通ですよー、みたいな顔をして歩いてるっていう自覚がある。でも、もとが田舎ものなので、渋谷とか銀座にいると背すじはピンと伸びるけれど、それも2~3時間経つともうつらい。家に帰ってあぐらかいてドラクエしていたい。 そんなセルフィッシュな私にちょうどいいレベルの都会は都内にいくつかあるのだけれど、その1つに東急線の二子玉川駅エリアがある。 まず何がいいって、ギリ都内のくせして”私、ワンランク上のエリアなの”って
期間限定無料だから聴いているだけ……試してるだけ…すぐ解約するし……のはずだったAmazon Music Unlimitedで、”あのころ”の音楽を聴いていると、懐かしさとか恥ずかしさとか痛みとかが入り混じった、何ともいえない心地の中で週末が終わる。それもまたきっと、夏の長い夜の楽しみ方なのだろう。私、大人だからね。 それで今週の私は、”あのころ”、2000年代後半の音楽のことを思い返していたので、中でももっとも印象的だったアーティスト、YUIについての回想をnoteす
おお たのもしき神のしもべよ! わが教会に どんなご用かな? おいのりをする どくのちりょう のろいをとく ▶ のーとをよむ ピッ! (けっていボタンした音) あ、はいどうもありがとう じゃあね、ヤブから棒に、はじめまーす。 もう1年以上も旅行できなくていいかげん腹が立ったマキさんによる、過去に行った旅行のぼうけんのしょを見せびらかすコーナーでーす。 今日はマキさんがドイツのフランクフルト市に行った時、立ち寄った教会でセーブしたぼうけんのしょをお見せしまーす
何年前とは書かないけれど、私はだいぶいい年の大人になってからヴァイオリンを習い始めた。といっても高校卒業までピアノ教室に通い、その後も部屋にはピアノがあってつかず離れずの関係が続いていたので、音楽歴はそれなりに長いような気がする。 ピアノでは楽譜さえあればだいたいの曲が弾け、自分で愉しむことくらいはできるようになった。このうえ何を求めてヴァイオリンを習うに至ったのには、いろいろと思惑があった気もするけれど、その大きな理由の一つに、ヴァイオリニスト・宮本笑里の存在があった。
小説が面白いのはどうしてなんだろう。 マキさんが思うにそれは小説が、過去に経験したはずなのに自分で整理できていなかったこと、何故なのかその時分では誰にも説明できなかったけれどそれでも確かに嫌だったりムカついたりしたこと、直視するのがなんとなく面倒くさくて半ば故意に見過ごしてきたあらゆる諸事情の総集編だからである。 そんな人生の数々の迷シーンにおける、今さら思い出したくもなかった諸々の情緒を、わざわざ掘り起こして言語化し、「ああ……、前にあったねそういうこと」と目にモノ
長い。不要不急が禁忌となってこのかた、夜のなんて長いことか。 仕方がないので映画を観る。こんなときのために私のAmazonプライムビデオのウオッチリストには、後で見る用タイトルがずらっと並んでいる。 分かっていたことだけど私はだいぶ変わっているので、ウォッチリストにもお笑いとかアニメとか逃げ恥とかのカジュアルなタイトルはひとつもなくてうんざりする。どうしてこう、疲れた週末の脳みそをやさしく休ませてくれるような、普通のチョイスができないのだろうか。 とりあえずリストの
三島由紀夫は45歳で余人の誰しも想像のつかない激しい方法で死んでいった。よって私みたいなコモノが本書を「そういう人が書いた本」として読んでしまうのは、仕方ないことではないだろうか。 三島小説を読むと、私は毎度登場人物のネーミングセンスに打ちひしがれてページをめくる手が止まり、人名を頭の中でローテーションするだけで2,3日過ぎてしまうのはいつものことである。たとえば代表作「金閣寺」で私がもっとも気に入っているのは主人公の初恋の人である有為子(ういこ)で、名まえひとつで有為
私は三島文学の愛好者であるとともに、じつをいうとこの時代の学生運動や政治論争に異常な興味を持っている。そして自分でもどうかと思うほど、共産主義とかあさま山荘とか、日米安保の歴史とかにくわしい。私のちょっと人には話しにくい、というか話す相手を選ぶ趣味のひとつがこの三島由紀夫という男だ。 画像出典:映画「三島由紀夫VS東大全共闘」公式サイト、以下同じ 昨年3月に公開されたこの「三島…」が、最近Amazonプライムビデオになったので、私はこの週末、新しいレビューがアップされ
こんばんは、おげんきですか日本列島。わたくしマキさんと申します。先日noteを始めたばかりなのですが、自己紹介もせずいきなり東京五輪のことなど論じてしまい、全米を驚かせてしまいました。 そこで今日は、自己紹介代わりに、わたしのライフワークであるネトゲ恋愛研究についてご紹介するしだいです。 ネトゲ恋愛とは何か。ネットゲームの仮想空間で出会った人どうしが恋愛関係に発展すること、と本学術院では定義しております。ひじょうにシンプルですが、ゲーマーでもオタクでもない一般の人々
(Photography by YM) かつてわたしたちが見てきたオリンピックとは、セレブレーションであり、フェスティバルであり、エンターテインメントだった。 観る者の胃袋さえギリギリと絞ってくるような緊張感、一瞬で決する運命と、そこからの解放。金色のメダルに頬を寄せる勝利者。躍る経済、肩を叩き合って酔狂する人びと。イルミネーションとファンファーレの余韻の消え行くのを、いつもわたしたちは満ち足りた気持ちで見送ってきた。 そんな夢を見ていたわたしたちに、東京オリン