”平山病”奮闘記【決断の時】3/4
夫が患っている病気 ”平山病”
筋萎縮と筋力低下が進行していく病気。
夫はこの症状が右手に出ていた。
高校1年生の時に発症し、20代前半くらいの時点で進行がストップしたと思っていた。
先生からはこう言われていた。
若年性の病気の為、16歳~20歳で進行が止まることが多く、進行が止まった時点での筋力はキープされる。
”良くもならなければ、悪くもならない”
夫の症状は先生が言う通りにはならなかった。
2018年秋頃から感じ始めた異変
夫はキックボクシングと草野球をやっている。
2年前から少しずつ右手と左足に違和感を感じるようになった。
キックボクシングや野球をやっているときに何となく左足に力が入らないな、と思っていた。
危機を感じた瞬間
野球の練習試合時の出来事。
①ボールをキャッチして送球しようと思った時、左足のふんばりがきかず、崩れ落ちながらも何とか送球することができた。
これは偶然だと思った。
②バットを振ったとき、左足に踏ん張りがきかなくてそのまま崩れ落ちた。
これも偶然かと思った。
③ヒットを打った後、セカンドめがけて走ったが、ロボットのようにうまく走れなかった。
足カクンカクン状態。
普通であればセカンドまで行ける位のヒットだったが、ファーストギリギリセーフだった。
周りからは”ふざけないで走れー”と言われた位だ。
これは確実におかしいと思った。
病院通いが始まる
どの病院でも脳に原因がある可能性が高いと言われたが、MRIの結果は特に問題なかった。
この時も過去に”平山病”を患ったことがある、と先生に伝えても、どの先生も”平山病って何?”みたいな表情をする。
恐らく先生方の教科書に載っている”平山病”という病気は、
若年性のものですでに進行がストップしているもの、という認識。
症状も別の個所に出ているし、これは別の症状に違いない。と思っていたのかも...
別の病気を疑われて検査の日々。
その間にも刻々と症状が出始めていた。
*お箸を握ることが容易ではなくなってきた。
*左足に力が入らなくて、ちょっとした段差でも転ぶようになってきた。
*左手、左足のしびれ 等など。
究極の症状は肛門の筋肉の衰えだった。
これには本当に驚いた。
ある日、仕事に出たと思った夫がしばらくたって戻ってきた。
トイレに駆け込む夫…
間に合わなかったのである。
小だとまだいいが、大のほうだ。
こんな屈辱的なことがあるだろうか。
本人は日々、様々な症状と闘っていて本当に辛かったと思う。
それも、2回目の記事で書いたあの精神状態の中でだ。
私たちは焦っていた。
セカンドオピニオン
セカンドオピニオンにはならないか…
3件目の病院。
”頸椎ヘルニアの症状が出ているからここでも手術はできるよ。でも念のため以前”平山病”の時に通っていた琉大病院でも診てもらったら?”
夫は”今すぐ手術をしてほしい”と言った。
私は必至で止めた。
今すぐこの症状を何とかしたいという思いは痛いほど分かるが、私には2点気になることがあった。
1.平山病との関連性が分からないからここで手術をしないで、琉大病院でやってくれ、という先生の心の声を聞いた気がした。
2.夫は平山病は若年性のものでもう進行ストップしているもの、他の箇所に症状がでることはないと思っている、確かにそうかもしれないが私は確かめたかった。
今すぐ、手術をしたいと言った夫を説得し、次の病院へ。
夫の”平山病”は少しずつ進行し続けていた!?
琉大病院を受診した。
何度か検査を重ねて出た診断結果。
<診断結果>
平山病+頸椎ヘルニアの併発
平山病は進行していた。
若年性のものと言われていたが、37歳になった今でも少しずつ進行し続けていたのだ。
また、違う部分の症状が出るなんて聞いていなかった。
今回は頸椎ヘルニアを併発していたので、このような症状が出ているのかもしれないが、ショックだった。
***
こんなケースは稀だと先生は言った。
というのも、平山病はまだ治療法が解明されていない病気。
あれから22年経ってもまだ平山病の治療法は解明されていなかった。
手術することもできるが、治すものではなく現在の進行を止めるための手術だと言う。
注意事項:脊椎の手術なので失敗すると車いす生活になる。
何それ。
手術しても病気は治らず、失敗したら車いす生活。
でも手術しないと筋萎縮と筋力低下が進行していく。
それも今回は足と手両方に症状が…
【2度目の選択】手術するかどうかの判断を迫られる
すごい選択だった。
夫にとっては2度目の選択。
本当に苦しかったと思う。
以前と違って今は家族がある。
夫はやはりそこを心配していた。
・一時的に収入が無くなる、いや仕事はクビになるのだろうか…
・手術後の入院、自宅療養…全て家族に負担をかけてしまう
・手術や入院費用はどうするのか
(難病ではあるが、難病指定はされていないため保障が...)
私は一言だけ伝えた。
”お金は私が稼げばいい、後ろ向きな人生なんて歩んでほしくないから、手術しよう”
こんなことしか言ってあげられなかった。
家族でがんばって乗り切るしかないと思った。
”手術をする”という選択
そして、私たちは「手術をする」という決断をした。
現時点で治療法はないが、進行を止めることができるかもしれない。
まだ37歳。
目の前の進行に怯えながら生きるのではなく、この先の人生家族3人で思いっきり楽しむために手術をする、という選択をした。
2週間の入院とその後3ヶ月から半年間の自宅療養を覚悟して。
これまでのお話はこちらからご確認ください。
***
今回はここまでとなります。
次回は「手術から手術後のことについて」
最後のお話です。
最後までご覧いただきありがとうございました。
***追記***
今、夫はLINEグループを作り、平山病と闘う皆さんと日々やりとりをしています。
・10代の頃に手術をした方
・30歳を過ぎてから手術をした方(前方手術、後方手術)
・これから手術を予定している方
皆さん様々です。
手術後の状態、術式の違いや日々の痛みとの付き合い方など、様々な情報交換をしているようです。
お気軽にご連絡ください。
夫へのコンタクトはこちらのLINEからお願いします。
平良 淳(たいら じゅん)
https://line.me/ti/p/uay9tB8HWg
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