”平山病”奮闘記【手術のこと。そしてこれからのこと。】4/4
2019年3月6日
手術の日。
これまでの過程はこちらのマガジンから↓
手術前の気持ち
<手術内容>
平山病+頸椎ヘルニアを同時に手術する。
通常より神経の通り道が狭く、神経が圧迫されて様々な症状を引き起こすため、神経の通り道を広げてあげる手術。
神経を圧迫しないようにチタンで骨を固定する。
(削った骨をうめるため、腰骨から骨移植もした。)
手術当日の夫は
とても落ち着いている様子だった。
手術前の気持ちを聞くと、
”意外に怖くなかった”という。
私はというと、ものすごく怖かった。
仕事柄、結婚式本番でトラブルが起こることは日常的。そんな時、落ち着いて行動できるように感情のコントロールはある程度できる方だ。
そんな私でも手術前はとても緊張していて、看護師さんに心配された位だ。
その緊張を一気に高めたのが、手術前の問診。
病室には主治医の先生だけではなく、
十数名の先生と医学生。
さすが大学病院である。
まるで”白い巨塔”を見ているようだった。
とても珍しい病気なので、
今回の事例はお勉強になるのね、
と思いながらも
”少しは気を遣えー!!”
と心の中で突っ込んでいた。
そんなことを思いながら
手術室の前で夫を見送った。
***
手術時間は6~8時間。
何かあった時のためにすぐ連絡が取れるようにできるだけ病院内にいるようにしてください、と先生に言われていた。
1人でソワソワしながら何をしていたかというと、仕事をしていた。
一番の気晴らしになった。
病院のフリースペースでPCカタカタ。
↑周りからするとちょっと変な人である笑
でもこれが私自身を保つため…
手術後、激痛との闘い
ぶじ手術が終わった。
手術は成功。
麻酔から覚めた夫は、
しばらく自分の置かれている状況が
把握できずにいたが、
”手術は成功したよ”と伝えると
ホッとした表情を見せた。
しかし、それはつかの間の平穏だった。
麻酔が切れると、そこからは激痛との闘い。
痛み止めが全く効かなかった。
というよりは、
痛み止めが効かない位の
激痛との闘いだったのだ。
あの時の事を何と表現したらいいのか分からないが、夫にあの時の事を聞くと、
”身体の一部をもぎ取られている感じだった”
と言った。
痛み止めの種類を変え、
色々試したが全くおさまらない。
先生に”何があるか分からないから
今晩はだれか一緒に付き添ってください”
と言われた。
正直 ”怖いな…” と思いながらも
娘を保育園から迎え、
そのまま私の母の元へ預ける。
このとき娘2歳、初めてのお泊り。
色んなことが心配だったが、そんなことを言っている場合ではないので”おばあちゃんよろしくね”と言って半ば無理矢理預けた。
結局2日間も預けることになったのだが…
夜、病院に戻る車中で
”少しは痛みがひいていますように”
と願いながら戻ると
状況はもっと深刻になっていた。
普通の痛み止めが全く効かなくなり、
医療用の麻薬を使った。
今度は薬が効きすぎて暴れ始め、先生に押さえつけられる…
そしてまた別の薬を使う、それの繰り返し。
夫は泣いていた。
私に”助けてほしい”と泣きながら懇願した。
私も手術本当に成功したよね?と不安だった。
全く眠れない日々が3日も続いた…
***
やっと激痛から解放され、今度はリハビリへ。
歩行訓練から始まり、これから半年もの間お付き合いすることになる”カラー”と呼ばれる首を固定するための装具の取り扱いなどを学んだ。
激痛は無いが、常に痛みはあるので痛み止めを飲み続ける日々。
寝るのは常に辛そう。
枕の位置やベットの高さを調整しながらべスポジを決めていた。
退院、そして自宅療養へ
手術の成果
<手術前>
首が真っすぐではなく前に傾いているのがわかるだろうか。
これが原因。この前のめりの状態だと神経が圧迫されてしまうのでこれをできるだけストレートにする手術。
<手術後>
↓こちらが術後写真。首を固定するためのチタンが入っているのが分かる。
これが固定術。
前のめりになろうとしている首を半ば強制的に固定しているので、少し前かがみになるだけで激痛が走る。
***
術後の回復は以外にも早く、リハビリ後2週間で退院することができた。
まずは3ヶ月間の自宅療養。
痛みはまだ続いているので毎日痛み止めを飲みながらの生活。
そして、首が固定されていることの大変さを知ることになる。
・衣類の着脱が自分でできない
・下を向くと激痛が走るので
日常生活も痛みとの闘い
・娘を抱っこできない...
娘を抱っこできないのは本当に可哀そうだった。
娘まだ2歳。抱っこできないよ、と言っても毎日のように抱っこをねだる。
今思えば、あの時は家族皆ストレスMAXだったのかも…笑
***
そして、3ヶ月経った頃、先生から事務職であれば少しずつ仕事を始めても良い、と言われた。
本当に嬉しかった。
まずは週1からスタートし始めて、少しずつ出勤日数を増やしていった。
車の運転ができないからこれまでやっていた営業職は全くできない。
総務全般のお仕事をさせてもらっていた。
夫の職場には本当に心から感謝している。
3ヶ月もお休みをいただき、夫の状況を理解した上での別の新たなポジションの準備、そして働き方まで配慮してくれた。
私も夫もクビを覚悟していたし、次の仕事どうしようか、、、
という相談までしていたくらいだった。
車の運転ができる喜び
そうして、半年経った頃には車の運転許可が下り、車通勤が可能になった。
ヤッター!!!!
毎朝6時過ぎに家を出て夫を会社に送り、その後娘を保育園へ、仕事後は娘を迎え、夫の会社に迎えに行く。
このルーティン結構辛かったのだ。
首を固定しているため、左右確認する時は身体全体での確認が必要となる。
少し時間はかかるが、車の運転ができることで行動の範囲が広がることが夫のストレスを解消してくれたようだ。
この半年間、私が仕事の間は一切どこにも行けなかったし、普段から人一倍気を遣う夫は忙しそうにしている私に”〇〇に連れて行って”という一言が言えなかった。
さらばカラー
そして、一番嬉しかったのはこれまで半年間毎日装着していた”カラー”を取っても良いという許可が下りたのだ。
下を向くことは辛いし、PCをずっと見ていると首が痛くなるので、そういう時以外は外しても良いと言われた。
このカラーを装着していることで外出の際は周りの目をずっと気にしていたし、
子供達には”ロボット!!”と言われていた生活がやっと終わったのだ。
今では重い物も軽々持てるし、4歳17㎏もある娘を抱っこすることもおんぶすることもできるようになった。
軽いストレッチやジョギングもOKが出ているので日々筋トレをしながら少しずつ日常を取り戻してきている。
”平山病”と闘う全ての方に届けたいメッセージ
若年性のもので一般的には20歳前後で症状が進行ストップすると言われている平山病。
そうではないことを知ってほしい。
もちろん、今回はまれなのかもしれないが、もし今後身体に違和感を覚えたら、まずは”平山病”が進行しているのかもしれない、と考えてほしい。
原因不明で病院をたらいまわしにされるのはもううんざりだ。
こんな思いしてもらいたくない。
また、別の箇所に症状が出る可能性もあるということもしっかりと覚えていてもらいたい。
夫は高校生の時に手術をしなくて良かったという。(※症状が軽かったから)
思春期にこのカラーを装着しての生活なんて想像もしたくないし、こんな不自由な生活が高校からずっと続くと思うと本当に苦しい。
治療法が解明されていない今、今後も何が起こるか分からない。
一生この病気と付き合っていかなければならないのである。
今回のことで当たり前に生活できることの大切さを改めて実感した。
この病気のせいで何もできない、なんて思いたくないし前向きに生きていきたい、いつかキックボクシングができるようになりたい、と夫は言う。
まあ、絶対キックボクシングはさせないんですけどね!←わたし
考えたら、夫は”平山病”と”霊感体質”の2つを抱えている。
どちらも一生付き合っていかなければいけないのである。
人一倍すごい経験をしているのだ。
(いつか夫の半生を本にしようか…笑)
***
”平山病”を告知されている皆さん、この情報化社会の中、病気に関する情報や口コミ(体験談)がなくて本当に不安な思いをされていると思います。
若年性の病気なので、ご両親も手術を受けさせるべきかどうかで悩んでいらっしゃる方多いのではないでしょうか。
数少ない口コミにはご家族からの投稿が多かったように感じます。
そこで、夫は”平山病”のコミュニティサイトを作りたい、と申しております。
まだ漠然とした案しかないのですが、こうしたほうがいいよ!
という案があればぜひご教示いただければ幸いです。
***追記***
今、夫はLINEグループを作り、平山病と闘う皆さんと日々やりとりをしています。
・10代の頃に手術をした方
・30歳を過ぎてから手術をした方(前方手術、後方手術)
・これから手術を予定している方
皆さん様々です。
手術後の状態、術式の違いや日々の痛みとの付き合い方など、様々な情報交換をしているようです。
お気軽にご連絡ください。
夫へのコンタクトはこちらのLINEからお願いします。
平良 淳(たいら じゅん)
https://line.me/ti/p/uay9tB8HWg
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これまで4回にわたり長文お読みいただきありがとうございました。
心から感謝しております。
MAKI
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