見出し画像

ゴジラの夢

 ゴジラの夢を見たことがありますか?
 山岸凉子のエッセイ風のマンガにそんなのがありました。子供のころ見た夢に、ゴジラがご町内をノシノシ歩きまわっていた、というんです。実は私はあのマンガ家と同い年なので、やはり子供の頃そんな夢を見たのです。そのころゴジラ映画の第一作が封切りになったのですが、街角の映画の看板に描かれたゴジラのグロテスクな姿。私はそれをまともに見ることができず、顔をそむけて通り過ぎたものです。今の子どもたちはそういう怪獣が大好きですけどね。だからもちろん映画はみていません。それなのによほどこわかったのか、ゴジラの夢をみたのです。
 映画のゴジラはビルや国会議事堂を破壊して暴れまわるのですが、私の夢のゴジラは、私が育った町、東京のはずれの、木造平屋建て、セメンがわらの家並みの向こうにぬっと姿をあらわすのです。灰色の家並みはゴジラの足の下にあっけなく踏みつぶされ、消防車のサイレンがうなり、どきどきしながら逃げまわっていると、幼稚園の同級生の京ちゃん(私の生涯最初のボーイフレンド)が走ってきて、「あっちはもう危ないから向こうへ逃げろ」などというのですね。男の子ってこんなときにも冷静でうらやましいなと思いながら逃げたんです。

 どうも私は楽しい夢というのを見たことがありません。
 運動会の朝、学校に行くのに体操服でなく、普通の服にランドセルをしょって出かけてしまって、校門のところで気がつき、あわてて着替えに帰るのですが、こんどはハチマキを忘れたり、運動靴ではなく下駄(普段ばきは下駄だったんです!)を履いてきてしまったり、そんなことばかりして焦っているあいだに、校庭ではどんどん競技がすすんでいるという夢。これは小学校三年生ごろの夢でしょうか。

 この頃時々見るのは、取り壊されて今はもうない旧病院の夢。東棟から西棟5階の救急病棟に行きたいのですが、エッシャーの絵みたいに階段が横向きについていたり、エレベーターで上がったら、廃校になった小学校みたいな板張りの長い廊下が続いていたりで、なかなかたどりつけないのです。
 どうも私の夢は、どこかへ行かなければとか、あれをしなければとか思って焦り続けている夢ばかりです。このごろになってふと思うことがあります、ああした焦燥感というのはなにか人間の根源に根ざしたものなのではなかろうかと。

 「家に帰る、帰る」と言って病棟を徘徊するお年寄り。
 「家におってもしょっちゅう帰る帰ると言っていますよ」と家族。
 先年亡くなった私の伯母は、十七才で女学校を中退させられてお嫁に行った人ですが、「学校にいかなきゃ、学校に遅れちゃう」とばかり言っておりました。
 認知症の心の世界は知るすべもありませんが、目覚めながら夢を見ているような状態なのだとしたら、あの焦燥が理解できるような気がします。
 私も年をとったら、あの子供時代暮らした町に帰りたいと夜昼徘徊するのかもしれません。鉄条網と、さびれた町工場のうすよごれた塀にかこまれたあの原っぱ、ネコジャラシやイヌフグリやヒメジョオンが生え、秋は空いっぱいにトンボが群れていたあの原っぱに。でもあの風景はもうどこにもないのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?