ポンペイ
ヤマザキマリさんの力作マンガ「プリニウス」がついに完結しました。
世界の不思議な事物を求めて、霊を見る猫や、危険を予知するロバや、もの言うカラスをともなった漫遊の旅がもっともっと続いてほしかったのですが。
「博物誌」を書いたローマの学者プリニウスは、ポンペイを襲った紀元79年のヴェスビオスの噴火に巻き込まれて亡くなったのでした。ヴェスビオス山のように、大量の軽石や火山灰を噴き上げる大噴火をプリニー式噴火と呼ぶのは、プリニウスの名にちなんでいるそうです。
長年疑問に思っていたことがありました。
ポンペイの話を初めて知ったのは小学生ごろのこと。新聞の日曜版だったのだろうと思います。当時の新聞には少ないカラー写真で、褐色の石畳の上に、段差につまずいて転んだような姿の白い石膏像があるのです。ポンペイの人々は降りしきる灰に埋まって命を落としたというのです。私は不思議に思いました。どうして灰に埋まるまで逃げなかったんだろう?
雲仙普賢岳からの火砕流の流出が繰り返し起こってニュースになっていたある日、ヘリコプターが写した実況映像が茶の間に流れました。灰で白くなった地面に、点々と白い灰を被って横たわる人の姿。
「あっ、ポンペイだ!」
あの石膏像そのままの姿だったのです。1991年6月、報道陣が集まっていた「定点」を火砕流が襲い、数十人の犠牲者が出たその現場の映像でした。その映像はその後二度と放映されることはありませんでした。
ポンペイを襲ったのも火砕流だったのだと、その時悟りました。それでは逃げる暇もなかったわけだ。私はポンペイに関する本を探して読んで、サージと呼ばれる火砕流が何度もポンペイの町を襲ったと言う記述を確認しました。
その後NHKのドキュメンタリーなどで、あの石膏像がどういうものだったか知りました。火山灰は固まって石のようになります。人の遺骸はやがて腐敗して灰の中に空洞が残ります。その空洞に石膏を流しこんで型を取ったのがあの石膏像なのです。抱き合って息絶えた人々、四肢を空につっぱって苦しむ犬の姿などが保存されていたのです。
紀元前一世紀、剣闘士のスパルタクスが反乱を起こし、仲間とともにヴェスビオス山に立てこもったと言われています。その頃のヴェスビオス山は、中腹までブドウ畑に覆われたのどかな山だったとか。
先ごろテレビで「ポンペイ」という映画を見ました。ハリウッドが好きな古代ローマの活劇ものです。主人公は知らない俳優でしたが、ローマ人に一族を皆殺しにされ、奴隷にされたケルト人の剣闘士の若者。貴族の娘との許されない恋の話です。巨大な闘技場のセットはえらく金がかかっていそうだし、噴火の映像はCGを駆使したのでしょう、迫力があってよくできていたけど、燃えさかり崩れ落ちる市街で、宿敵同士が渡り合ったり、バシバシ落ちてくる火山弾をかいくぐって、さらわれた女性を追いかけてとりもどしたり、なんと都合よくできた話だなあと思って見ていましたが、ラストシーンでは逃げきれないと悟った主人公の男女が、抱きあって火砕流に呑まれて行くのです。この世で結ばれることは許されない二人。エンドマークの背景は、口づけしたままの石膏像なのでした。