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源氏のものがたり

 子供向けの文学全集で平家物語を読んだのは、小学校五-六年生の頃。平家は悪い人たちなのに(当時はそういう認識でした)、なぜ平家物語なのだろうと思いながら読んだのですが、清盛入道が、水風呂が沸きあがってしまうほどの高熱でもがき苦しみながら死ぬ場面とか、幼い安徳天皇が祖母に抱かれて入水じゅすいする場面などが心に残りました。なぜ子どもなのに天皇なのか、なぜ海に身を投げなければならないのか、わからなかったのですが。
 源氏物語という本もあることを知り、読んでみたいと思ったのですが、子供向けの本にはありませんでした。その後、源氏物語は平安貴族の若様の話だと知り、源氏なのになぜ貴族?と思ったものです。
 実は源氏は本来貴族なのです。
 天皇にあとつぎが生まれず困ることもあるのですが、天皇になれない皇子たちが多く生まれる場合もあります。そんな時、彼らを皇族からはずし、姓を与えて臣下にすることが行なわれました(臣籍降下)。桓武天皇の孫はたいら姓を与えられ、平成天皇の孫は在原ありわらの姓を与えられました(行平、業平)。
 平安中期、嵯峨天皇は子女の臣籍降下を大々的に行いました。なにしろお子さんが五十人もいたそうです。皇后や女御など、高い身分の妃から生まれた皇子たちには、基良親王、忠良親王など二字の名をつけ、母の身分の高くない子には、まこと、融、明など一字の名前をつけ、中国の故事にならってみなもとという姓をあたえて臣下としました。今も男子の名前として一般的な一字名前は、この時からはじまっているのです。
 その後臣籍降下した皇子には源姓が与えられることが慣例になりました(賜姓源氏)。一世源氏は朝廷で要職について天皇を補佐しました。しかしこのころ藤原氏がその勢力を延ばしつつあり、左大臣 源 信みなものとまことはむほんの疑いをかけられて失脚しそうになりました(応天門の変)。源 融みなもとのとおるも左大臣になりましたが、その後政治から遠ざかって河原の別荘で風流三昧の日々を送りました。源氏物語で、夕顔がもののけにとり殺される事件の舞台は、この河原の別荘だと言われています。
 光源氏は朝廷で位人臣を極め、引退後は譲位した天皇、上皇に準ずる扱いを受けるという、栄華を極めた人生を送りましたが、それは物語の世界でのこと。
 二世、三世源氏はあまり高い役職にはつけず、さらにその末となると地方官になるほかはなく、地方に住みつき、やがて武士となっていったのです。
しかしそれでは源氏だらけになるので、住んだ地名を名字として名乗るようになりました。鎌倉幕府を開いた頼朝は清和天皇の子孫(清和源氏)ですが、その血流で足利の地に住んだのが尊氏の足利氏、新田の庄に住んだのが新田義貞です。
 映画やマンガにもなった夢枕獏さんの「陰陽師おんみょうじ」。阿部清明の友人で源博雅みなもとのひろまさという人物が登場します。妖魔を退治するために五-六人ばかり人の血を吸った刀が必要だと清明が言うので、博雅は父親の刀を持ってくるのです。博雅の父親は闘いを生業なりわいとした武士だったというのです。しかし実在する源博雅の父は醍醐天皇の皇子克明よしあきら親王。博雅は天皇の孫、一世源氏の貴公子だったのです。源氏だから武士だと夢枕先生、思ってしまったのですね。その後の話ではちゃんと天皇の孫だと書かれるようになりましたが。

参考文献:「公家源氏」、倉本一宏、中公新書

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