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私の好きな人(前半)

突然ですが米津玄師さんが好きです。
彼の作り出す詩、メロディ、絵、雰囲気、色使い、人柄まではわかりませんが…とにかく好きです。

全く脈絡の無さ満点自己満足文書になるのですが、
今回も書き連ねます。

別にファン歴が長いんだとかこれだけ彼の思想を理解しているから私は古参なんだ、すごいなんて言いたいわけじゃない、と先に言い訳だけはさせてほしいのです。

まず、私が音楽というものに触れたのは小学生の頃通っていた学童のラジカセからお遊戯会だかダンスの練習で使うために偶然聞いたGReeeeNの「虹」同世代の子達はAKBの話しをしていたり自分のハマっている音楽の話しで盛り上がったりしていた頃
自分には好きなアーティストという概念すらなくて、この頃言葉で人に気持ちを伝えるのが苦手になっていた自分にとって、歌という行動で、想いやメッセージを届けるという方法があるのだということが、
新しい世界からの一報を受け取ったみたいにキラキラしてる物に見えました。

学校の音楽の時間に歌う合唱曲や課題曲の他に 音楽 と文化があると、
まさに異文化に触れた気分でした。
ちょっとどころか…だいぶ遅すぎる異文化理解だったので少し焦りつつ高揚した気分で親のパソコンを借りて、今日聴いたばかりの「虹」を、とても興味深げにYouTubeで再生して何度も再生して歌詞を紙に写したりなんかして、必死に自分の好きな曲を手に入れようとしていました。

それからすこし時は進んで、中学生になった頃…

私は、地元のやっすいカラオケでたまに仲間達と過ごしていました。

そこで、偶然友達の一人が入れた米津玄師のアイネクライネを聞いて…その頃では珍しいPV付きのカラオケで、歌からというよりは歌詞と絵、軽いアニメーションなんだけど その絵のタッチや色使いなんかから…何とは言えないけれど自分のなかでカチッとハマるような、自分の好きな曲という物をやっと見つけたようなそんな衝撃を受けていた事を覚えています。
そこからは、友達との交換ノートに絵を描くときも曲を聴くときも…なんだかんだ米津色(って呼ぶ事にします笑)が滲んだ生活をしていました。

呑気な小学生だった私達は受験を迎えた中学生に育って行く中で小学生の頃からは打って変わって少し荒っぽい事をしたり先生に反抗する子、同い年の中でも恋愛を楽しんでる子、好きなことを追究する子
自分の周りは時間が止まっていたのかと錯覚するくらい同い年の子供達はいつのまにか様がわりしていって(もちろん、自分もノロマなカタツムリなりには変化していたのだろうけど、)
そんな変化に飲み込まれるみたいに少し焦りを感じつつ、よく、拒絶もされつつ、成長の糸口なんてみつけられず、未だに自分を表現することが苦手な自分は、小学生の時から仲良くしてくれるメンバーにまもられるようにして、好きな米津玄師の世界に憧れて、ぬくぬくと育っていきました。

→長すぎるので、続きは、後半へ

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