誰だって、いつからだって、変われる(my story-1)
「変わりたい…」
そう思い始めた2014年、夏
あの日から人生が加速していったんだ
不安から生まれた変わりたいという気持ち
子育てしながら、夫の転勤で行った異国の地
ひとり不安を抱えながらの毎日
知り合いもいない
言葉も違う
海外での生活は経験があったから、自分だけなら不安はない
でも今回は子どもがいる
海外で子育てというのが、私にとってものすごく心細く感じることだった
というより
誰とも、どことも、繋がりがまったくない新たな場所で
子育てをすることに
「ちゃんと育てられるだろうか」
という漠然とした何かがあったのかもしれない
不安で
怖くて
孤独で
渡航前に覚悟はしていたけど
どんどん心がすり減っていくのを感じた
私が弱いからこんなに怖いの?
もっと強くなればいいの?
不安な気持ちは、自分が変わればなくなるんじゃないか…
そんなふうに考えていた
変わりたい…
何をすればいい?
どうすれば変われる?
頭の中はそんな問いでいっぱいだった
早く変わりたい、変わらなきゃ、、、
パソコンで変わるキッカケを検索する毎日だった
とりあえずやってみる
子供たちを幼稚園バスに乗せたあと、毎日一人で向かう場所があった
日本の書籍だけを置く「本屋」
お店は狭いし、種類も少ない
でも、心理学や自己啓発、哲学、スピリチュアルなど
いろいろな本を手に取った
今の自分ではダメだ。と焦っていたから
「とりあえず本を読もう」
気になった本を買い、読み漁っていた
でもね、
どんなに本を読んでも自分の何かが変化しているとは思えなかった
意味あるのかな…
なんて思いながら本を選んでいたのをよく覚えている
少しの変化
ある日ちょっとしたトラブルが起きた
それまでの私だったら
"誰かに相談して相手の言ったとおりに動く"
ってことをしてた
でもその時は
誰かに相談するわけでもなく
どうしたらいいのか、自分はどうしたいのか
自分で考えて行動していた
無意識にね
当たり前だよー。って思う人もいると思うけど
私にとってはものすごく大きな変化だった
幼いころから
他者の言ったとおりに生きることが当たり前だった私にとって
自分で考えて行動するなんて、本当に驚きの行動だ
本を読むことで
自分の内側にあるドロドロしたものが
少しずつサラサラへと変化したのかもしれない
そんなふうに感じた
普通というモノへの逃げ
私は小さい頃から「普通が一番」と言われ続けた
何かに挑戦しようと思うと
「普通は~だから」「普通がいいよ」
と。
その言葉に幼いながら反発をしていたのを覚えている
「わたしはこうしたいんだーーーー」
ってね
「普通」というモノの中に押し込まれるのがものすごく苦しかったから
でも
反発すればするほど押し込もうとするエネルギーも強くなるんだよね
そして、いつの間にか自分の中のエネルギーがなくなっていった
気づけば、その枠に入ることを良しとする選択をしていた
自分では何も考えず、誰かの言ったとおりに動く
そのほうがラクだと感じたから
それはただの逃げだったんだけどね
私はラクな方を選んだ
「普通」や「こうあるべき」という言葉に
強くエネルギーを持っていかれるのを感じていたのに…
見えないからこそ大切にしたい
自分の内側から出てくる想いや感覚は正直だなって感じる
心に反することをすると
自分でも気づかないところで
心が病んでいく
気づいたときには
取り戻すのにかなりの時間と労力がかかってしまうから
自分の中から溢れてくるものは大切にしたほうがいい
(続く)
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