承認欲求は悪くないけど厄介
同人活動と承認欲求は切っても切れない関係にあると私は思うのですが、皆さんはそんなこともないでしょうか。
そもそも“欲求”って何なのかって話からしても良いですか。
私は人間と言う種族が発展していくために仕組まれたプログラムという風に認識しています。
人間ってのは、他者に承認されないと発展していくことができない種族なんですね。
脳のバグが起こって、この欲求がぶち壊れている状態のことを“鬱状態”と呼んだりするので、他者に「認められたい」と思う気持ちは、健康で正常な状態と言えます。
厄介なのは、「自分は丸裸のままの状態で認められている」と感じることができない時、「今よりもっと努力しないと」と今の状態を否定したり、程度によっては自分を誇張表現しようとしたり、場合によっては嘘をついてまで他者に認められようとしてしまうということです。
嘘や誇張表現で認められることで、本人が幸せならばそれで良いのですが、自分自身で“ありのまま”が認められないと、苦しくなってしまわないかなということが心配です。
なんとなくですがインスタには「良く見える部分だけ」が切り取られた誇張表現が多い気がして倦厭してしまいます。Twitterにも“嘘松”と呼ばれる文化があったり、ビジネスアカウントなんかは嘘だらけな感じがして苦手です。
同人アカウントも、“今現在の自分の実力”というものを認めることができないと、自分自身を否定してしまうことに繋がりがちです。
「もっと練習をすることができれば」
「もっと若い内から始められていれば」
「もっと時間をかけて作ることができれば」
「もっとお金をかけることができれば」
“ないものはない”と認めることができないと、ずっと苦しいままです。
人間は、今現在の自分の状態を認めることができて初めて、「じゃあどうなりたいか」という向かいたい方向を定めることができます。
今の自分自身を否定しても、悔やんでも、今は変わりません。
でも、これから先の自分は変えていける可能性があります。
なりたい自分を見定めたなら、そこに向かって一歩ずつ歩いていくことでしか自分は変えていけません。
そこに悩んだり悔やんだりしているヒマはないのではないかなと私は思います。
とても厄介なことに、“人から評価されたい”と強く思えば思うほど、人は離れていってしまいます。
自分の歩いてきた道を自分で認めてあげられるようになった時、初めて今まで見えなかった他者の努力が見えるようになり、他者を認めてあげられるようになります。
そしてとても面白いことに、他者を認めることができる人ほど、他者から認められるようになるのです。
共有の時代にあって、他者より能力が優れているかどうかよりも、全体を向上しようと願う人が、これから先の社会でもっと認められていくようになっていくのではないかなと私は思います。
〜今日のまとめ〜
承認欲求は誰でも持っている
自分を否定しても自分は変われない
他者を認める人ほど他者から認められるようになる
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