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音大卒フリーアナウンサーへの道のり:4
こちらのつづきです。
この頃の写真がほとんどなく…
コールセンター時代の同期と行った花火大会の写真でお許しください。
コールセンター時代
<コールセンターで評価される>
「メンタル強くないとできない」と言われがちな、コールセンターでの電話応対。でも「誰にでもできる」とも言われがち。
わたしは当時から「合う」「合わない」がある仕事だと思っています。
専門性の高い仕事だとも思っています。
早くそのことに業界が気づいてほしい、、地位向上してほしい、、。
今後も、AIに変われない部分はどうしても残ります。
この後に書くことでそれが少しご理解いただけるかもしれません。
100人以上がいる大きなコールセンターの大量募集での採用でした。
同期が10〜20人ぐらいはいたように思います。
いわゆるサークルのようなノリでした。
音大時代にサークルはなかったので知らんけど。
程よい距離感で仲が良かった。このことに救われていました。
仕事がしんどかったのは最初の3ヶ月だけです。
知らないおじちゃんに理不尽に怒鳴られてから、
「わたし個人ではなく会社に言っている」
「まっすぐに受け止めなくていい」
何かを乗り越えてしまったように思います。
対応内容は総合受付ということで多岐に渡ります。
手続きだけのこともあれば、技術的な問い合わせの一次切り分けもありました。もちろんクレームも。
フリーダイヤルだとクレームが多い、のは本当のことです。
ただ、内容が多岐にわたっていたからこそ、飽きずにできたと思います。
クイズをだされているみたいな感覚です。次は何がくるかな?と。
<なぜ数字を出せたのか>
1時間あたりのコール数(CPH)が10〜12件
1日100件以上対応
これは、業界の方がみるとちょっと驚いていただけそうな数字です。
成績上位者10名がホワイトボードに毎週張り出されるのですが、そこの常連でした。
でも、早口だったわけでも何でもありません。
わたしに会ったことがある人は早口のわたしを想像しづらいとも思いますが(笑)
・何をしてほしいのかを正確に聞き取る(傾聴力)
・聞き取ったことが合っていることを確認してもらう(要約力)
・その後、回答する(説明力)
・相手の聞き取りやすいスピードに合わせて話す
・相手の声や周りの音から多くの情報を受け取る
・相手の話をさえぎらない
など、これらができていないと、
・回答がずれてしまうため、ヒアリング&回答しなおし
・質問が理解できているのか?の不安からの質問の繰り返し
・こちらの案内が聞き取りづらいことによる聞き返し
・相手からの信頼度が高められず不信感による聞き返し
などという、タイムロスが発生してしまいます。
できる限り「1つの質問」に対しては「1度のヒアリング」「1度の回答」の
最短距離を歩きたい。
「品質は生産性を担保する」そう言い続けていたように思います。
もちろん、処理の時間短縮もいろいろと工夫していました。
一般的には通話の後に処理をします。
例えば、住所変更であれば、聞き取ってメモをして後から入力します。
そこを、聞き取りながらリアルタイム入力し、入力した内容を画面を見ながら復唱確認して、会話の中で処理完了させる。メモから転記するよりミスが少ない。こんなこともしていました。
<発声や話し方の工夫>
1度で聞き取っていただきたいので、滑舌や緩急も駆使していたように思います。ただし、ロジカルではなく感覚で。「伝えよう」「伝わってほしい」という念がそうさせていました。
また当時、9時間シフト、というものが存在していて、まだ塩パスタ時代で、稼ぎたかったわたしはよくそのシフトにいれてもらっていたのですが、9時間勤務を始めた当初は、終盤声枯れすることがありました。
「どうしよう仕事にならない」と思ったわたしがそこで思い出したのは、中学、高校と合唱部の幽霊部員だった頃にやった腹式呼吸のこと。
背もたれに背中がつくようにして、腹式呼吸ができていることを確認しつつ、喉に負担がかからないように話すようにすることで回避できました。
たくさん人がいるコールセンターだったので、待機中は周りのオペレーターさんで上手に話している人の声に耳を傾けて。話し方や言葉遣いを真似をしてみることもしていました。
今思えば、対応の終わりで「ききやすかった、ありがとう」と言われることがありました。でも、声をそのものを褒められることは特にありませんでした。
<やりたいことではないけど、デキること=電話応対>
これらの工夫を、もちろん最初からできたわけではないのですが、当時勤めていたところにはそういう方面の教育はなく、ただただ日々100件対応する中で、自分で編み出したり手繰り寄せたりしてきました。
それで数字という結果にも繋げられた。
これまで音楽に費やしてきた時間と比べたら、たいした時間や労力をかけていないわけです。まさに「たいした努力もせずに、できてしまったこと」であり、そのことで「これは天職では」と本気で思っていました。
上に書いたように少なからずの「努力」はしているのですが、本人からしたら「楽な努力」で、コールセンター長が二日酔いで出社したわたしにこっそり栄養ドリンクを差し入れてくれたりする面白い立場になっていました。
サークルのノリだったので当時同期と飲み会が多かったのです。。
お金がなかったわたしの分を払うと言ってまで誘ってくれた同期たちに感謝しかありません。みんな事情は知っていました。仲間にも恵まれています。
その後、「合う」「合わない」の「合う」の領域に入っている人に、このあたりの工夫をお伝えすると劇的に変わったりもしました。
ちなみに「合う」人はどんな人ですか?と聞かれそうなのでお答えしておくと「ホスピタリティのある人」だと思います。
ホスピタリティは自分自身も強くないと保てないものだと思っています。
<コールセンター→サポートセンターへ転身>
この頃、コールセンターのシフトの合間に、ライブハウスnest時代に携わっていた音楽イベントのスタッフとして時々、東名阪ツアーなどについていったりもしていました。音楽との繋がりはまだありました。
そんな折、とある音楽繋がりの方へ、コールセンターで働いている話をすると「もっと稼げるところがあるよ」と教えていただいたのが、「テクニカルサポート」でした。
時給が全然違う。
ということで、コールセンターからサポートセンターへの乗り換え作戦が始まります。つづく。
〜風に吹かれる人生が、また1ページ〜
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