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音大卒フリーアナウンサーへの道のり:5
こちらのつづきです。
そろそろ、いつになったらアナウンスのお話がでてくるの…?と思われている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
サポートセンター時代
そもそもコールセンターとサポートセンター何が違うねん、ですよね。
今回の一連の記事の中で便宜上、技術的なサポートを行うコールセンターのことを「サポートセンター」と呼んでおこうと思います。
ちなみに、業界としてはどちらも「コンタクトセンター」と呼ばれます。
<人生で一番勉強をしたかもしれない1ヶ月>
とにかく、時給をアップさせたいという動機でインターネットサービスプロバイダ(ISP)のサポートセンターへ。いわゆるインターネットの接続会社のことです。
奇跡的に「技術的なことを知らなくても電話応対の経験があれば全て教えます」という求人に乗っかることができました。
今では考えにくい1ヶ月丸々使った研修。
ネットワークの基礎からみっちりと叩き込んでいただきました。
人生で一番勉強したかもしれません。必死でした。
研修最終日に知恵熱が出たことは、今となってはよい思い出です。
ここで、トラブルの「切り分け」を行うことでロジカルな思考が身についたように思います。ここで身につけたことはそのあとの人生でとても役立っています。もちろん今も。
<Macのおかげで>
学生のときにMacを購入し、自力でネット接続をしたことはここで役に立ちました。当時とてもマイノリティだったMacユーザー担当窓口に配属されることになります。Macユーザーってだけですべての案件が回されてきます。オールラウンダーの猛者揃い。とてもよいチームでした。
対応デビューしたあとも、しょっちゅうリーダーへ相談にいくわたし。
何を聞きにいっても、
即答で、
次は「これ」と「これ」と「これ」を試してね。
ダメだったらまたきてね。
と、わかりやすく伝授してくれる。
いつもほんとご迷惑をかけてすみません!としょんぼりしながらこぼしたとき、「高木さんはちゃんとお客様の話を聞いてそのまま伝えてくれるから全く心配していない。しっかり聞いているからお客様もちゃんと付き合ってくれている。それでいいんだよ。」と言われたことは今でも忘れられません。
ここでも「師に恵まれる」です。
お客様から丁寧な文字でお礼のお手紙をいただいたのもこの頃です。
宝物です。やっぱりわたしに向いている仕事なんだ、そう思えました。
<FF11との出会い>
この頃、職場にいた方の勧めでFF11と出会いました。
美しく刺激的なヴァナディールの世界にどっぷりハマりました。
ここまで「遊ぶ」ということをあまりやってこなかった反動がでたのだと思います。
ここでも得ることがありました。
オンラインの向こう側のプレイヤーと一緒に活動すること。
当時は団体での活動が前提となっている設計だったこともあり、30人ぐらいはいる団体(LS)に所属していました。
月イチの定例会議、レアアイテムの分配ルール、トリガーアイテムの管理…
まるで会社組織のように活動していました。まさにリモートワーク(笑)
その中で「画面の向こうにも感情を持った生身の人間がいる」ということを肌身をもって感じました。
今でも付き合いがある友人がいます。ありがとう。
たかがゲーム、されどゲームです。
<10年お世話になる会社との出会い>
個別の派遣契約からアウトソースへ切り替えるという時代の流れに逆らえず、契約終了。
コンタクトセンター事業者である某メーカーの子会社にたどり着きました。
会社員には向いていないと思っていたわたしでも10年務めることになる奇特な会社です。
今思えば、多少ブラックでした(笑) 今は改善されているはずです。
でも電話の仕事が好きだったわたしは夢中になって仕事をしていました。
一定の評価をしていただき、リーダー業務を任されるようになった頃、残業がデフォルトであり、何をしても否定される環境に配属され、そこで1年がんばりすぎてしまいました。結果、突然電車に乗れなくなり、適応障害と診断され、2ヶ月休職することになります。
ソファとお友達になる生活です。大人の夏休み。
後からメンタルヘルスを少し勉強しましたが、
・以前できていたことができなくなる もしくは極端に遅くなる
・以前楽しかったことが楽しくなくなる
これはうつ状態のサインです。
周りにそういう方がいたら気づいてあげてください。
わたしは、以前簡単にできていた処理が、ものすごく遅くかつ精度が低くなり、また、大好きだったFF11のプレイがおっくうになってしまいました。
<音楽へ回帰>
少し起き上がれるようになったころ、何気なくテレビを見ていたら、思いっきりテレビの「今日は何の日」のコーナーで大学時代にお世話になった寺島尚彦先生(「さとうきび畑」の作詞作曲をされた方です)が亡くなった日であることを放送していました。
自分の中の何かが目を覚ましたような気がしました。
そして、恩師が亡くなっていることを知らないぐらいに、仕事のことしか考えていなかったことに気づきました。
「そういえば、音楽から離れていたな」
復職してもできる音楽は何?
合唱団ならできるかな?
学生時代に演奏したフォーレのレクイエム、歌ってみたいな。
こんなことをぼんやり思いながら、フォーレのレクイエムを練習している合唱団は近くにないか?とGoogle先生に尋ねたところ、神奈川フィル合唱団のオーディションを見つけました。
高校時代の音楽の先生が、好きな曲だから、とよく歌っていた、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を歌いました。
久しぶりに人前で何かをする瞬間でした。
当時、定時で帰ることがとても後ろめたい雰囲気の中、強い意志をもって「練習の日は帰る!」を実行することで、ひとつ自分の中で何かが変わることができたような気がしました。
念願のフォーレのレクイエムを歌ったのは2010年12月のことです。
音を浴びる中で歌う、自分がその一員でいられて、音楽の喜びをもう一度感じられた、本当に素晴らしい体験でした。
なお、フォーレのレクイエムは、わたしが死んだらかけてほしい曲です。
モーツァルトやヴェルディのレクイエムのような激しさはなく、上から光がさしてきて安らかに天に召されるイメージ。
ぜひ聴いてみてください。
<会社との付き合い方が変わる>
復職以降ソフトランディングを続けるなか、社内報委員・イベント委員など「誰も手を挙げる人がいないから」と社内ボランティアの声がかかりました。ここでも「無茶ぶられ」事案です。
でも、ソフトランディング中の身で役に立てるのなら、と参画。
↑ 社内報メンバー紹介。そこはかとなく今と変わらない文面。
イベント委員では、神奈川フィルとの繋がりを活かして「コンサート鑑賞ツアー」を企画したり、北鎌倉との繋がりを活かして「陶芸体験ツアー」を企画したり。
他部署・他拠点との繋がりができたことが大きかったです。
ここで繋がった人とも今でもお付き合いがあります。
しかも仕事が生まれています。ありがとう。
<3.11>
フォーレを歌った翌年3月、東日本大震災が起きました。
金曜日の昼下がり。
お昼休憩後、コールが少し落ち着くまったりとした時間でした。
ビルの20階にいました。
免震構造で大きく揺れるフロア。
船酔い状態から逃れられないことに難儀している中、当時の業務上閲覧できていたUstreamで津波をリアルタイムで見ることになります。
契約上、クライアントがOKを言わなければ逃げ出すことすらできない状況。
揺れている中、対応を続けているスタッフもいました。
しばらくして停電。
停電する前に実家に電話をかけさせてくれた当時の上司に感謝です。
そして数時間が経って、陽が傾いてきた頃、電車が止まってしまった頃
「帰宅指示」
電車が止まってしまった外へ放り出されました。
いわゆる帰宅難民です。
当時いたのは川崎市。
自宅は鎌倉市。
冷静に考えれば帰れるはずがないのですが、判断力を失っていました。
職場の人と一緒に歩き出しました。
結局、日付変わった頃に何とか到着した横浜でギブアップ。
同僚の家に泊めてもらいことなきを得ました。
足はぼろぼろ。
血だらけでした。
当時、近隣の皆さまとTwitterを通じて知り合えて近所づきあいがあったことにとても助けられました。今回のコロナでもそうでしたが、こういう時の鎌倉市民のパワーは本当にすごいです。今は鎌倉市民ではなくなりましたが、恩返しをしなきゃ、という気持ちを常に持ち続けています。そんなこともあり今も関わり続けています。
電車が動き出した頃も、計画停電はしばらく続きました。
停電になるともちろん仕事になりません。
「御社のリスク対策はどうなってるんだ!」というクライアント様もいたそうです。
わたしが所属するチームも何か考えなくてはということになったのでしょう「北九州に行けないか」と勤務地変更を打診されたりもしました。
実際に被災された方に比べると、大した問題でもないのですが、「何が起きるかわからない」「できることをしておこう」と考えるには十分なきっかけでした。
計画停電も終わり、会社が平穏を取り戻しつつある頃には夏になっていました。
合唱団では、音大を卒業していることで「声楽科?」と言われることがあり、それならば習ってみようと、声楽のレッスンに行ったりし始めていました。カラオケボックスで練習などもしている中で、単純に声を出すことでスッキリしてメンタルが保てている自分に気づき始めていました。
そもそも「発声」を学んでみるのはどうか?
お客様と話す仕事をしているのだから役に立つかもしれないし、と考えて、アナウンススクールに通い始めることにしました。
(お待たせしました!やっと「アナウンス」がでてきました!)
〜風に吹かれる人生が、また1ページ〜
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