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誇りを持って「好き」と言いたい

「このままだと、自分が踊るダンスも曇ってしまうのではないか」

今よりトゲトゲしていた約6年前、こんな考えが浮かびました。

当時の私は今より自己中心的でした。
他人を思いやることができなくて、「苦しいのは私!」「私の方が辛い!」という考えに陥っていました。自分で作った良くないこだわりに、自分が縛られていました。

中高ダンス部で出会った優しい同級生たちを見て、「私もみんなみたいになりたい!」って思っていたのにも関わらず。
その頃から時が流れて社会人になっていたのにも関わらず。
ひとつ前のnoteで触れたような、マンガ「天使なんかじゃない」の登場人物・広子ちゃんみたいな、天使の心からは遠ざかっていました。

でも周りの支えや環境の変化に伴い、そしてダンスそのものにも助けられて、
「ダンスが好きだから、この弱い・悪い自分のままだと、私が踊るダンスも曇ってしまうんじゃないか」と思うようになりました。

自分のダンスを守るためにも、言動や行動に気をつけたいと思うようになりました。

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世の中には作家やアーティスト、クリエイターと呼ばれる人がたくさんいますよね。
ダンサー、振付家、歌手、作詞家、作曲家、画家、俳優、脚本家、漫画家、陶芸家、書道家、小説家、ピアニスト、バイオリニスト、デザイナー、モデル…
他にも「○○家」「○○作家」「○○デザイナー」と呼ばれる職業は数えきれないくらいあります。

もっと言うと、どんな仕事に就いていても、「何かの価値を生み出す」という視点で見ると、誰もがクリエイターであると言っても過言ではないと思います。

正直、その人の「性格」とその人が「生み出す作品」は比例しないケースがあると思っています。
「作品」は「仕事」や「価値」に言い換えても良いかもしれません。

性格や人となりに多少問題があったとしても、良い作品を生み出す人はいらっしゃると思います。
(もちろん、「中身が素晴らしい人」が生み出す「素敵な作品」はたくさんたくさんあります!)

他にも例えば、
アーティスト(アイドルでもバンドでも何でも)とそのファンがいて、たとえそのファンの人たちのマナーや素行が良くなくても、そのアーティストの価値は変わりません。
(もちろん、「マナーの良いファン」がいる「素晴らしいアーティスト」もたくさんいらっしゃいます!)

「人の性格」と「作品/仕事/価値」、そして「アーティスト」と「ファン」、これらには実は何の関連性もないんじゃないかと思っています。

それでも私は、自分自身の言動に気をつけていきたい。

「私」と「ダンス」や、「私」と「私の好きなもの」には関連性はないけれど、私のせいでダンスや私の好きなもののイメージが下がるような事態は絶対避けたいし、もしそんな事態になったら、私が私を許せなくなります。


「ダンスが好き」「○○が好き」と誇りを持って言えるように。
好きという気持ちに恥ずかしくない自分でいられるように。
好きという気持ちを盾に何かや誰かを攻撃するのではなく、その「好き」をエネルギーにして自分を律し、正しい心で行動していきたいです。


ただ同時に、自分が周りを見つめる時には、
「その人」と「作品」、そして「ファン」と「アーティスト」を変に混同しないように気をつけていきたいですね。
良い意味でそれらを切り離して考えられる、柔軟な頭でいたいですね。

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写真は大好きなお菓子・マカロン!

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