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INFJが羨ましかったという話③

当方、自認はINTJ/ENTPです。NeNi優位の思考型です。
ソシオニクスならNe-ILEです。

⚠注意

このNoteには虐めに関する表現があります。感受性の高い人、自分語りが嫌いな人は閲覧を控えることを推奨します。

本文

自分は人生の中で何度か――中学生になるまでの12年と、中高時代の6年、それからの十数年――に大きな性格の違いがある。
正確には、中高時代の6年間に性格が狂っていった(被害者的発言が許されるなら、人格を壊された)ことが原因だと確信している。

幼少期

小さい頃の自分は、大層問題児であったと伝えられている。親一人の主観であるなら無視したいところだが、学校単位(学年ではない!)の問題児であったと学校側が言っているのだから仕方あるまい。

授業中に席こそ立たなかったものの、授業は完全に上の空で、教科書の回答を書く時間が長すぎて筆記用具を積み上げて遊んだりした。授業参観の時にも気にせずやっていたものだから親に怒られた。親は「他の親に『巻ちゃんは変』だと思われるでしょ!」と顔を真っ赤にして怒った。とりあえずごめんなさいといったけど一切反省していなかったと思う。

遊びは外遊びも部屋の遊びも好きであった。でも大きなグループに交じって遊ぶというよりは、そういうグループから外れがちな子と一緒に遊具で遊んだりした(とアルバムに書いてあった)
一人遊びはしない子で、数人のグループに交じって気弱な男子をいじっていたと遊んでいたと噂されている。

遠足に行っても道を外れたりする方の問題児だった。家族と旅行に行ってもそうだった。その割に迷子になったことはないのは、親がずっと自分を目で追っていたからだろう。

女子の友人もいたものの、よく遊んでいたのは男子だった。趣味が合うのが男子の方だったというのが一番の理由で、他は女子にありがちな暗黙の了解がわからずグループから外されがちであったのもあると思う。
小学校中学年くらいから異性を意識し始めた子が多かった中で、最後の最後まで男女で行動が別れていくことが理解できなかったことは強く覚えている。女だから遊べないとか、女だから一緒に来てとか、そういう分け方が理解できず疑問を投げかけたこともあった。理屈じゃないのだと頭では分かったが、今でも正直納得はできていない。これだけは幼少期からずっと引きずっている価値観だと思う。

中高時代

今でもあまり書き出したい話題ではない。一言で言えば「孤独を強いられた4年間と、つかの間の休息」ということだ。
元々一人行動を好む方の人間ではなかったがゆえに、相当にキツかった。この経験が無ければ、自分は個人行動をしない人間になっていた可能性すらある。

とにかく、周りの男性に混じれるほど下ネタ等の男性文化に馴染めず、だからといって女子の暗黙の了解に馴染めなかった自分が孤立していくのは必然でしかないと今は思えている。

中高時代の大部分は他人に存在を認知されない人生を送っていたが、それぞれ1年だけ友人もでき楽しい生活を送れた期間があった。これがなければ、自分は中高時代の6年間を永遠に記憶から消し去るところだった。
数少ない友人には感謝してもしきれない。

この頃、耐えきれない孤独にメンタルがおかしくなり、毎日生きる意味を調べ続けていたのだけは覚えている。話をする相手も居ないので、ブログで自己完結するようになったのはこの頃からだと思っている。
ゲームやアニメに熱中するようになったのもこの頃からだ。昔からゲームは好きだったが、変に没頭するのはこの頃からだった。

この頃から、漠然とした「男性になりたい」という思いが膨らみ始めるのであった。ともかく女性と合わない、だからといって男性に交じってゲラゲラと下ネタで笑えない自分に劣等感を募らせていた。
また、女性の気持ちを分かりたい、女性と上手く話したいという気持ちも増していった。

大学時代

そんな私にも大学受験は等しく訪れた。自分の大学選びはかなり変わった基準だと確信している。
それは、「単科大学」であった。理由は、「女性」が少ないからだ。
もちろん科目自体も好きであったし得意であった。でも、「女性」の多い大学に行くと高校時代の二の舞になると確信していたのだ。

その選択が正しかったのか周りの女性(あえて鉤括弧を外している)の許容範囲が広かったのかは不明だが、大学時代は暗黒の中高時代が嘘だったかのように充実した。
友達も少ないながらでき、今でも交友関係は続いている。

そしてここでBLを知り、エロコンテンツを教わり、リョ○も覚えた。
エロに一片の関心も無かった自分がいきなり関心を持つと性癖(誤用)が捻じ曲がるのもやむを得ないのかもしれない。
この頃から現ジャンルに興味を持った。

でも、中高時代の6年間で染みついた引っ込み思案な癖はなかなか取れなかった。自分は基本的に嫌われる存在なのだという思いは頭を常に過り、言動を挙動不審にさせた。そういうこともあってか、大学時代でも自分は変人だと思われていた。でも周りも変人だらけだったから何も問題など無かった(笑)

大学でもやはり男女でグループが別れる状況に変わりは無く、漠然とした「男性になりたい」気持ちは消えなかった。
言うまでもないが恋愛のれの字もない人生である(笑)

また、女性の気持ちを分かりたい、女性と上手く話したいという気持ちは「人を分かりたい」という気持ちへ抽象化された。
色々と社会問題を学ぶうちに、自分には「空気」を読む能力が決定的に欠けていることに気付かされた。それから色々と空気を読む努力を始めた。
また、自分の中高時代を思い「弱い人に優しくする」という思いを強くしていった。

このあたりでMBTI診断を知った。このときの診断結果が「INFJ」である。人の気持ちが分かり、弱きもののために立ち上がつ提唱者は、まさに自分の憧れであった。

社会人

社会人は会社員の総称ではなく社会に生きるもの全てであり大学生は当然内包される云々という話は無視します
社会人になれば、会社の人は基本的にビジネスライクな付き合いになっていくというもので、適当に世間話だけしていればよかった。世間話は好きではないが、色んな人の価値観を知る、それに伴い色々な知識を得られるのはやはり有益だ。

もちろん変わった人だとは思われているのだが、許容範囲に収まっているらしい。特殊な「暗黙の了解」のない職場であったことが幸いし、今はそれなりに楽しく社会生活を送れている。

とはいうものの、プライベートではトラブルがあった。それが前回と前々回の話だ。自分には人の機微を推し量る能力はまだまだ欠けているのだろう。

おわりに

長文かつオチが不明瞭だが、今思う事としては、このように性格が正反対になった人はMBTI診断を正確に行えるのかという疑問があるということだ。
咄嗟に発する自動思考が正反対へ2つに裂けていて、自分でもどちらが本心なのか見当もつかないのだ。

自分のような思考回路が分裂した人間にはMBTIが不適で、態度ベースで計測する診断が適しているのかもしれない。

長文を読んでいただきありがとうございました。

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