作成中の本の一部を公開します

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アドバイスほしいです。

 




はじめに

 

 僕はこの本を、クラウドファンディングにチャレンジして作った。多くの方の応援のおかげで、達成できました。ありがとうございます。僕がどうして本を作りたかったというと、理由がある。まず、信用って何だ?という疑問の、自分なりの答えが出たからだ。著名人が、「これからは信用の時代」という言葉をいつの間にか言うようになった。僕もその言葉を聞いて、イマイチよくわからなかった。

いくつか本も読んだけど、イマイチわからない。なんだと思いますか?


その答えを探して、僕は今年の二月から「行動」するようになった。


その中で、凄く素敵な人に沢山出会えた。大阪の平野区で銭湯をされている店長や、姫路でスナックキャンディを運営されている方、切り絵作家として活動されている方、尊敬できるかっこいい関東に住んでいる美容師をされている方と、デザイナーの方。お二人はわざわざ僕と呑む為に大阪に来てくれて、一緒に呑んだ。これってすごくないですか?


行動している中、様々な事にチャレンジもしてみた。ポルカは二回達成して、SHOWROOM配信では公式アカウントになれた。


そして、この本作りのクラウドファンディングも、五十万円達成できた。その間、僕が何を考え、何をしたか?も書いた。


 そして、この本をどんな人に読んでもらいたいかというと、僕みたいに「信用の時代って何?」と思っている方や、これから行動しようとしている方、そして人の夢を応援している人などです。僕の好きなダイビングの事も、勿論外せない。僕の人生からはもう離せない、僕の一部になっている。


僕の過去にもふれてみた。この文を読んでくれているほとんどの人にとって、誰だよ?状態だし、ましてや過去なんて知らないだろう。僕は二十九歳で起業して、大阪でダイビングスクールを運営している。今三十五歳だが、僕はこれまで多くの困難を抱えて生きてきた。今もあるし、きっとこの先もあるだろう。ある時は、まさに絶望だった。


前向きで、毎日けっこう楽しんでいる今の僕からは、想像も出来なかったとよく言われる。そこで、せっかくなのでそういう部分も書いてみた。


少し書くと僕は幼少期に「奇跡」を体験した人間。


ある先天性の病気を持って生まれて、僕は生まれて三日でお腹を手術した。

そこからずっと通院していた。そして、僕のコンピレックスもさらけだした。


よく僕は自ら死を選ばなかったとも思う。


 こんな人間もいるんだ、でもいいし、行動するきっかけにでもなればいいし、この本を読んで少しでもプラスになれば嬉しい。何も僕は最初から行動する人間じゃなかった。どこにでもいる「何もない人間」だ。今は夢や目標の為に、必死に毎日あがいている。凄くないからこそ、ひたむきに、あがいている。しなくて叶うなら、努力なんてしたくないのが本音だ。


中にはクラウドファンディグをどうやって達成したか?なども書いてるけど、おもに僕が行動をして、わかった事を書いる。


すでにあるビジネス書のようなことを書いても仕方ないし、僕が書く意味なんてそれだとない。情報が溢れた社会において、そもそも僕なんかが知っている情報なんて価値なんてない。ただ、ここに書いたのは、僕が行動して得た「経験」だ。

 それでは始まります。

 

「僕の見ている世界」

 

 

過去の自分

 

 ここ最近の出来事じゃない、自分のこれまで歩んできた人生をまず知って欲しい。

大人になって気づいたけど、どうやら僕は、色々シンドイ経験をしているらしい。それは、あまり最近まで多くを誰にも話さなかった、僕の心の中に鍵をかけていた記憶の一部だ。


 いきなりですが、僕は生まれて三日で手術をしています。


先天性十二指腸閉鎖症という病気なんですが、お腹にはその手術跡がしっかりと今も残っている。


これはどんな病気かというと、十二指腸閉鎖・狭窄症は膜や狭窄などの先天的な原因により胃液やミルクが十二指腸内を通過しない状態らしい。

出生6,000人から10,000人に1人の割でみられ、30%にダウン症、40%に先天性心疾患、また輪状膵、食道閉鎖症、小腸閉鎖症、腸回転異常症などの消化管の異常を合併することがあります。 Copyright © 獨協医科大学埼玉医療センター小児外科, All rights reserved.


ちょっと調べてみると、僕の生まれた年の出生数は1,508,687人なので、多くみて僕と同じ年で150人くらいしかいないのではないかな。珍しい病気らしい。 


合併症が多い病気で、僕は0歳から小学校六年生まで通院していました。原因不明の体調不良が続き、沢山検査をした。


けど、それが当たり前すぎて、みんなも同じようにしていると思っていました。

あれ?実はみんな検査していないし、そんなに注射をしていないの?と中学になって知った時は、かなり驚いた。


これ、小児病院に通院していた人にはあるあるだけど、病院の廊下にあるアンパンマンの絵にすごく勇気づけられました。

大人になれるのかな?と子供ながらにぼんやりと考えていました。

だから僕は、あまり、未来を予想することはしなかったです。


だから今、大人になれてよかった。


このまま年を重ねておじいちゃんになりたい。

合併症が沢山ある病気らしくて、ずっと原因不明の体調に悩まされていた。結局、その悩みの原因がわかったのは、ここ最近なんですよね。


十二歳の誕生日に、主治医に「もう大丈夫、こなくていいよ」と言われ時、嬉しいのと、あれ、未来のこと考えてもいいんだ?と焦った。

大人になれた。


お腹には大きな手術跡があるが、少しも気にならない。今まで生きてきて、この大きな手術跡を見た人に「昔手術して、治った」という説明を何度もしてきただけ。これのせいで嫌だった経験なんてない。


大人になれたいま、僕はあの検査を頑張って受けていた自分が、今の自分を見て、嬉しくなるような生き方をしようと思って、生きている。

弱音は吐かなかったけど、イタイって言わなかったけど、やっぱり怖かったし、不安だったし、痛かった。まあ、もうほとんど覚えていないけど。


自分ではどうする事も出来なかった。


だから自分ではどうしようもならないシンドイ事は、自分と切り離し、その原因を考えない様にする癖が、いつの間にかついた。こうでもしないと、生きるのが辛すぎたと思う。


その思考方法をまだ今も気に入っている。大人になった今は、それプラス、シンドイ事も時間が経過すれば、そのしんどさもゼロは難しいかもしれないが、大幅に減っている事も知っているのが大きい。

 

この経験があるから、僕は弱音をあまり吐かないだけで、ロボットじゃなくて、僕も人間なので、シンドイ時はシンドイし、辛い時は辛い。


九日、僕は手術を受けた。


この日から、僕のお腹に跡ができて、やっとツラさから解放されたハズ。


もう一度生まれたかんじ。


そこから、中学くらいまで、体調が悪い日が続いたのも、懐かしい。

 

 

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