第30話 娘はなから見た世界
子供たちの成長は母親である私にとって自分の事の様に感じる事がある。今日は、現在24歳の娘はなから見た世界を、過去を振り返るようにして書いてみようと思う。
はなが2歳くらいの頃、生活が不安定だったからか、穏やかな表情をしていたかと思うと急に怒り出し、泣いて泣いて泣き止まず、息を止めて意識を失うような事が度々。3歳くらいにはそれも落ち着いた。言葉を覚えたからか、自分で動ける様になったからか、、
はなが3歳の時に、息子鼓太郎が生まれた。鼓太郎が目を覚まして泣き出すと、はなは心配して抱っこしに行くような、優しくて面倒みのいい子だった。タイに家族4人で旅行に行った時には、レストランで食事をする時や、ホテルの受付をする時に、現地の人が鼓太郎を見てくれようと、抱っこしてどこかにいなくなるので‘’はな‘’は身を乗り出して、心配そうな鋭い表情をした。鼓太郎がいなくなる事を誰よりも心配してくれていた。
私が絵画モデルをしようと金沢に引っ越した時、はなは湯涌保育園に入る。しばらくすると、ぐずって行くのを嫌がった。小学校に入ってしばらくすると父親の具合が悪くなり、仕事を辞めたので、野々市に引っ越した。その時、鼓太郎はアトピーだったし、‘’はな‘’の父親は摂食障害だった。はなはその頃、本ばかりを読むようになっていた。
引っ越した先の野々市は、マンモス校で‘’はな‘’にはスクールカウンセラーの先生が付いた。毎日、家の様子を私はノートに書いて‘’はな‘’に持たせる。カウンセラーの先生と連携する様にして生活をしていた。
しばらくして、私たち夫婦はお互いの両親から賛成されて離婚。私は子供たちを連れて鳥越村に引っ越す事に。鳥越村には幸い、同じような年齢の子供を持ち、畑をしたり、自然育児を目指す、想いを共有出来る友人が暮らしていた。
鳥越は自然豊かなところ。住まいの村営住宅は平屋の横続きで、部屋も広く庭付き、家賃も1万円代と安い。私はしばらくここで暮らす事にした。
はなは鳥越村に住むようになって小学校高学年で親友ができる。その子と一緒に金沢の中高一貫校を受験。そして中学は吹奏楽部に入る。友達も沢山出来て楽しそうだった。高校からは大学受験に向けて勉強したいと一人暮らしを始める。
勉強の甲斐あって国立金沢大学に合格。語学を専門に勉強した。
はなは頑張り屋ですね~。境遇や親の影響を跳ね除ける様にして自分の道をコツコツと歩んでいる感じがします。高校から一人暮らしをすると言った時は家族に反対されましたが、私が家事や食事をサポートするからと実現。高校生の娘の暮らしのサポートは楽しかった。
はな~大学合格おめでとう~
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