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第15話 中国へ行ってみた

18歳の夏、思い切って一人旅をと中国に行きました。今思うと、無謀でした。

しっかりと目的を持った人と、早く一緒になって落ち着くことを願います。

神戸港発、2泊3日の船旅で中国に向かいます。当時18歳です。一人遠くへ行く事に対して、かなり緊張していました。

北京では音楽学院に宿泊。ここは質素だけど、敷地内は静かで雰囲気がよかったです。部屋のポットには毎日ジャスミンティーが入っています。ジャスミンティーを飲みながら耳をすますと、学生の二胡の音色が聴こえて来て、風が気持ちよく感じる夏でした。

一方街に行くと、ムッと熱気が埋め尽くした様で、排気ガスで空気は汚れ、バスに乗るといつも満員でした。少し高級なホテルのロビーで涼んだりしながら移動を続け、道端で売ってるライチを買って食べると、初めて食べる不思議な味に(私これ好きかも知れない)と思うのでした。

中国ではずっと、筆談で切符を買ったり、宿泊場所を探したりしていました。そんなある日、ホテルのフロントで部屋が空いているかを尋ねていると、大きなバックパックを持ったオーストリア人のおじさんもまた、一人で泊まれる場所を探していて(多分シングルの空きがなかったのでしょうか)一緒にツインの部屋を借りようと言って来たのです。その方が安く泊まれるよと。私は「いいよ」と言って、一晩を共に過ごしました。夜、おじさんはオリンピックをテレビで観ていて「マキ一緒にみないの?日本を応援しないのか?興味ないの~?」と英語で話しかけて来ます。(正直あまり興味なかったんだ。おじさん愛想なくてごめんなさい)1992年、その年の夏は、ちょうどバルセロナオリンピックの年だったんですね。

社会性がないと言うか〜まだ子供だったんです。

今は少し成長しました。

それから中国の街から離れ、内陸部に行ってみたいと、内モンゴル地区の‘’フフホト‘’に向かいます。寝台列車に乗りたかったのもありました。中国の人は移動の荷物が多くて大鍋を持つ勢いで、列車に乗り込むのもまた緊張が走ります。どこに行っても何をしても、国民性の違いを感じて、カルチャーショックを受けるのでした。

そして何故か、遊牧民の暮らしを体験します。パオで寝泊まりをして、肉の干したような物を食べて、らくだがいて、民族音楽の演奏を聴いて、とこの辺から気が遠くなり、、私はしばし高熱と、吐き下しで意識が遠のくのでした。頭をくらくらさせながら行った外のトイレは外壁だけでした。ギブアップ。しばらく寝込み、なんとか復活して旅を続け帰国しました。

旅の後半からは日本が恋しくて、帰りの船が来るのを待ちながら涙がでました。それでもすごいよ!上海、北京、フフホトとよく一人でまわったよ。

万里の長城も行けたし、中華料理もいっぱい食べれたし、よかった、よかったということで、

どうやら最初の海外旅行一人旅は自分の限界を知る旅だったようです。

30年前の事を想い出すように書きました。以外に覚えているものですね~。

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