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福岡西店(1)

業界の大御所の続き

福岡西店と言ってもケイカフェふくおかにし店の話ではありません。

約25年ほどまでに、今のケイカフェふくおかにし店の
近隣に出店をしておりました。

先述のプレハブの水道がないお店を出したのが平成6年。

その一年以上経過した時期に、田んぼを埋め立てる造成工事も終わり
展示場も一段と広くなり、なんとアスファルト舗装までした新店舗にて
順調に販売を重ねておりました。

販売台数増加に伴い、
スタッフ数も増えていって7名から8名くらいだったかと。

そんなある日、何かの話がきっかけで

「決算までの販売台数と利益がクリアしたら、2号店を出店する!」と
勢い余って宣言をしてしまいました。

まだまだ、そんな余裕も体力も無いのに・・・。


でも、その言葉にスタッフの皆さんが発奮して頂き、
目標クリアをしてしまう。

「マジ?え?お店出すなんて言ったけど、そんな状況では・・・」

と私は心の中で葛藤しました。


しかし、有言実行をしないと、二度と私の言葉は信じて貰えません。

なので、またもや渋々と出店用地を探すことになりました。

不動産会社などにアタックしても、
先述の通り相手にはしてくれないのは重々承知。

お店も出来て売り上げもあるので、多少は信用も増したのかも知れませんが
まだ26歳になってくらい。

まだ世間様の信用は低い状況。

ちょうど、前妻との間に子供が生まれ、所謂、夜泣きをします。

クルマに乗せると、機嫌良く寝てくれるので、寝かしつけも兼ねて
夜中に出店用地探索のドライブを数ヶ月繰り返しました。


今なら、何か気になる用地などあれば土地オーナーへの交渉なども含めて
専門業者が代行をして頂けますが、当時はそんな知識も何も無い。

では、どうしていたかと言うと、

気になる用地を見つけたら
ノートにだいたいの見取り図を書いて帰ります。

その後、市役所住民課に出向き、そこに置いてあるゼンリンの地図で
その見取り図の「住居表示」を調べます。

ゼンリンの地図でひとつの市や区で
購入したら7万円くらいするので買えません。

そんなお金が無いから、市役所に置いてあるもので無料で調査。

ゼンリン地図で住居表示が判明したら、今度は法務局へ。

法務局では住居表示をベースに「字図」という資料を請求します。

字図(正式な地番)から土地登記簿謄本を請求すると、
よくやく土地オーナーが判明します。

今度は、謄本に掲載されている住所を
また市役所のゼンリン地図で所在地を確認したら、
後は突撃です!


ピンポーン!「所有されている土地を私に貸してください!」
って具合です。

不動産会社からでは難しいと判断した私は上記のスキームで
突撃訪問し、突撃アタックを繰り返しました。

戦果は?・・・と申しますと、全敗です(笑)

世の中そんなに甘くはありません。


でも、相手にしてくれない不動産会社に期待するより
そうでもしてでも、可能性に掛けて前に進むことを選んでいました。


地主さんだって、
直接会えば可能性がゼロってわけじゃないのでは?という想いで。


やっぱり店舗立地は重要ということが少しわかってきていたので
幹線道路沿いで、その頃は福岡市東区方面に出店したく、
真夜中のドライブはいつも東区方面。

上記の土地オーナーアタックを繰り返すも成果無し。


ある日、気分転換も兼ねて、
東方面ではなく西方面へ真夜中のドライブに繰り出しました。


202号線を西進すると、
なんかメチャ良い場所に空き地があるじゃないですか!?


こんな所にお店出せたらメチャいいだろうな!

淡い期待で先述の通り土地オーナーを謄本で確認しました。

でも、謄本を見たときに「これはダメだな・・・」と思いました。


理由は土地の所有者が東京の大手企業。
しかも上場企業だったのです。

流石に26歳の兄ちゃんの私では、到底無理だろう・・・。


肩を落として諦めようとした私の頭の中で、もうひとりの私が囁きます。

「無理って、聞いてもないのに諦めるのか?」

「ダメで元々でも、なぜ挑戦しない?」

「最後まで挑戦して、ダメだったときに諦めろ。今はまだ違うだろ」

「最後までやりきらないと、他のことも同じようになるぞ」

そんな言葉が私の頭の中を駆け巡ります。

確かに、まだ断られたわけじゃない。

99.9%ダメだろうけど、ちゃんとその言葉を聞いて諦めないと
他のこともそうなってしまう。

意を決して、その東京にある企業の連絡先を調べます。

今みたいにネットが普及している時代ではないので、
電話番号案内のダイヤル117で調べました。


大きな会社なので大代表番号をアナウンスされました。


え〜い!ダメ元なんだからと思って、その大代表に電話をしました。


プルルルル
「お電話ありがとうございます。●●株式会社総合受付でございます」


私「あ・・・あの、おっ御社がしょ・・・所有されておられます土地を賃貸していただ・・・きたく!」

なんかしどろもどろの敬語と丁寧語を並べながら問い合わせました。

受付の女性
「かしこまりました。担当部署に繋ぎますので
 暫くそのままでお待ちください」

おぉ〜第一関門クリア!待つこと、数分


電話に出られた男性
「はい。不動産管理部の●●と申します」

なんか偉そうな声の男性(怖)
え〜い!散ってしまえ〜


私「わ・・・わたくし、ふっふっ福岡で中古車販売をしております・・・」

自己紹介と、御社が所有されている土地を是非、私に貸してほしい。

そんな話をカミカミになりながら一生懸命に説明しました。


すると電話口の男性、ちょっと面倒くさそうに
「あぁ〜・・・
 弊社の管理不動産は全てその地場不動産に管理委託をしております」

「なのでこちらに問合せをされても回答が出来かねますので・・・
  では、失礼します」

と電話を切られそうになったので

私「ちょ・・ちょっと待ってください〜!
 その管理不動産会社様を教えて頂けませんか!」

必死に食いさがります。

ちょっと間があり、少しため息みたいな吐息が聞こえた後に

「ちょっと調べますので・・・お待ちください」

おぉ〜!首の皮一枚繋がった!!

そして福岡の管理不動産会社名を教えてもらうことが出来ました。


でも、正直、私みたいな若造が全国区の上場企業が
管理している不動産なんて絶対に貸してはくれない。

また地場の不動産会社も今まで同様に、
けんもほろろ状態で相手にもしてくれないだろう・・・


でも、これ以上は無理!ってところまで、
自分が納得できるところまでは進もう。


そう考えて、ダメ元で福岡の管理不動産会社に突撃しました。


想像ではもっと大きな不動産会社をイメージしておりましたが
こじんまりしたよく見る規模の不動産会社でした。

大きく深呼吸をして、いざ突撃!不動産会社の扉を開けます。


「こんにちは!
 私、筑紫野市で中古車販売をしております、白井と申します」

「福岡市西区で●●株式会社様が所有されている物件の件を尋ねたところ、御社が管理会社と伺いましたのでお尋ねしました!!!!!」


目一杯の声と、最大の作り笑顔で扉を開けるなり叫びました。


店内には、眼鏡をかけた小太りの男性と、
 事務員らしい女性のふたり。

いきなりの私の声にびっくりして目を白黒させています。

暫くして状況が飲み込めた男性は、
私のところに歩み寄りため息交じりの声でこう言います。

「君さぁ、あの土地の所有者わかってるんだろ?大手企業だよ」

「あんな一等地の土地を失礼だけど君のような方には到底貸せないよ」

「あのような一等地は、外食産業とか大手の会社とかしか貸せないよ」

かなり厳しい言葉を並べられました。

それを見ていた、事務員らしき叔母様が
「あなた!そんな言い方したら失礼ですよ!誰でもチャンスはあるでしょ」
そんな言葉で男性を諭します。

どうも、このお二人は夫婦で、男性が社長のようです。

奥様に諭されて、ちょっとトーンダウンした社長さんは、
少し言葉を選びながら話をしてくれました。

「今後、あの土地は恐らくコンペ(入札)
 で貸し先を決めることになるだろう」

「正直、あの一等地だから多くの会社が申し込んでくるだろう」

「条件や信用も踏まえ、君では簡単では無いと思う」

そんな言葉を告げられました。

私「わかりました。でも可能性はゼロではないのですよね?」

社長「まぁゼロではないが厳しいと思うぞ」

私「わかりました!出直します」

そう告げて、不動産会社を後にしました。
また弱気な私が頭の中で囁きます。

「絶対に無理無理!お前みたいな街のちっぽけな車屋の
 兄ちゃんが借りれるわけ無い」

「ここで諦めて他を当たれよ!」

「挑戦するだけ無駄だぞ」

でも、もうひとりの私も頭の中で囁きます。

「でも、可能性がゼロではないじゃん」

「ここまでだって、そのつもりでやってきたんだろ?」

「最後の最後まで諦めるなよ」


・・・そして私が出した答えは
「正式に断られるまで諦めない」でした・・・


一連のやりとりの時に社長夫人は、
どうも間食タイムでスイーツを召し上がられていました。

それを思い出した私は数日後、地元で美味しいと評判のスイーツをお土産に
再度、不動産会社を訪れます。


扉を開けて私の顔を見た社長は、開口一番にこう言います。

「なんだ、お前また来たのか」

社長の冷たい言葉は胸に刺さりますが、決めるのはこの方ではない。

奥様に
「地元で評判のスイーツです!良かったら食べてください!」


奥様は
「あ〜これ、この前、テレビで紹介されてた♡ありがとう〜♡」

どうも甘い物には目がないようです。

奥様はご機嫌で私に色々と話しかけてくれます。

社長は奥の机に座って完全無視(笑)

長居は禁物なので、世間話を少ししたら早々に退散。

実はこれをコンペの日までの3ヶ月の間、週2回ずっと手土産もって
不動産会社に訪問をし続けました。

最初は社長には全く相手にもされませんでしたが、
毎回毎回、挫けずに訪問する私に
少しづつ心を開いてくれるようになり、
話を聞いてくれるようになってきました。


私の生い立ちから、創業したきっかけ。
今の状況、未来への想い・・・。

色々な話をさせてもらえるようになりました。

そしてコンペが近づいてきたある日、社長に言われます。

「白井君。もう来週コンペがある」

「君の想いは充分に理解してるし、私個人としては君に貸してあげたい」

「でも、決めるのは先方の会社だ」

「でも、私から出来る限り、君を推薦する旨は先方には伝える」

「でも、可能性は決して高くは無い。
 そのときは申し訳無いが諦めてくれ」

当初は話もさせてくれずに、追い返された社長。

でも本気でなんとかしたくて、
でも、どうしていいのかわからなかった私は
3ヶ月づっと通い続け、少しづつ話を聞いてくれるようになり、

そして最後は
私を推薦してあげるとまで言って頂けました。

私も自分が借りれるという可能性は低いことは充分、承知のうえ。


最後まで諦めずにやってみること。
をゴールにしていたので借りれなくても悔いはありません。

そして、その社長からそんな温かい言葉まで頂けたのだから。


なんか、コンペ前ではありましたが、すごく晴れやかな気持ちで
帰路についたことを今でも鮮明に覚えています。



そしてコンペ当日。

お断りの電話が入るだろうと、電話の前で待っていた私。

予定時刻に電話が鳴ります。

もうやれるだけやった。借りれなくても、自分に胸を張れる。
そんなことを考えながら受話器を取りました。

「●●株式会社、不動産管理部部長の●●です」

「お申し込み頂いておりました福岡の物件について結果のご連絡です」

実は最初に東京の企業さんで電話に出て頂いた方は部長さんでした。

「おめでとうございます。御社に賃貸することに決定しました」

私「???え? えええ? えええええええ?」


青天の霹靂です。
絶対に無理だと思っていたのに、自社に決定!!??

もうなんて話したのか覚えていません。

その電話を切って、すぐに不動産会社の社長に電話します

私「しや・・・しゃ・・・社長〜〜〜〜!うちに決まりました〜〜〜〜」

社長「うぉぉぉぉぉぉ!本当か!本当か!!良かった!!!!!」

私「あ・・・ありがとうごじゃいましゅ〜」
もう泣いて御礼の言葉を伝えます。

受話器の向こうの社長も涙声で鼻水をすすりながら
「良かった!本当によかった!」

と我が子のことのように喜んで頂きました。

後に、土地所有者の東京の大手企業様の不動産管理部長と電話で
話した際に、こう聞かされました。


「いや、▲▲社長(不動産会社の社長)は実は大学の同期でね。
  旧知の仲なんだよ」

「そんな縁もあってね、福岡のうちの物件は管理してもらっていたんだ」

「今回、▲▲が白井さんの事を凄く熱く語るんだ」

「なんとか彼に貸してあげて欲しいって」

「あんなに熱く語る▲▲を見たのは大学時代ぶりだったよ」

その話を聞いて、また涙がこぼれました。
本当に感謝しかありません。

学歴も資産もバックボーンも何も無い26歳の青二才だった私を
ここまで応援して頂けたことは、生涯忘れないでしょう。


そして、大手一部上場企業が所有されている物件を
26歳の車屋の兄ちゃんが
借りれるなんて夢にも思っていませんでした。

何度も諦めるタイミングはありました。

何度も諦めようとしました。

でも、なにかそれじゃあ、全てのことがそうなってしまいそうな自分も居て、諦めることが出来なかっただけだったと思います。

でも、諦めなければ叶う、諦めなければ必ず道は開ける・・・。

この出来事を通じて、私はそのことを強く確信出来ました。


この経験が、その後の私に大きな影響をもたらしてくれました。



そんな出来事を経て、平成8年(1996年)に福岡市西区拾六町
国道202号線沿いの超一等地にメーカーズの2号店となる
メーカーズ福岡西店がオープンすることになりました。

しかし・・・しかし・・・
そんな苦労までしたお店、なんと3年で撤退してしまうのです。

その理由は次回にでも。

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