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福岡西店(3)

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福岡西店(2)の続き

お店が完成するまでも苦労の連続

オープンしても屋根が吹っ飛ぶなど、苦難続きの福岡西店。

屋根の修理も終わり、ようやく通常営業が
できるようになったのもつかの間・・・

予定通りに店舗前面の202号線の上に
都市高速建設の工事が進んでおりました。

しかし、工事が進む度に、何か違和感を感じてきました。

どう違和感があったかと申しますと

現、おおのじょう店の前の国道3号線。
お店の前がR3上り車線

そして中央分離帯に都市高速の橋桁があり
その向こうがR3下り車線

これが「普通」のイメージでした。

福岡西店前のR202も車線も広く、当時、中央分離帯も広く
ありましたので、上記のR3のようになるもの・・・

と何も疑ってはいませんでした。

ところが、工事が進んでいくと
何か福岡西店の真ん前に、凄い高い「壁」のようなものが
どんどん建築されていきます・・・

そして、工事の影響で一時的にR202より側道を通らないと
店舗に出入りできない状況が・・・

完成が近づいていくと
ずっと側道からで無いと進入できないことに・・・

そうです。

お店の前の巨大な「壁」の正体は
現、都市高速福重→西九州道へのオンランプ
登り口だったのです。

それを建設するにあたり、目の前のR202は、道の反対側に
上下線が移動し、自店は側道からでないと進入できない。

さらにオンランプの高い壁でお店の存在が全く見えない!!!

そもそも、国道202号線沿いという好立地で
本契約を進めてきました。

福岡西店(1)にも書きましたが契約するまでも
大きな苦難がありました。

東京の大手企業のコンペで、
当時の自社のような地域零細企業が落札!

諦めなければ何でも叶う・・・!

いや、実は他の入札競合だった大手は
恐らく工事完成後の全容を知っていたのでしょう。

いや、知らなかったのは情報弱者だった自分達だけだったのでしょう。

国道202号線沿いの好立地店舗は2年も経たずに
側道沿いの、オンランプに店舗認識を阻まれた3等立地に・・・

そんな場所、みんな手を降ろしますよね。

知らない自分達だけが、最後まで手を挙げ続けたのでしょう。

そして、ダチョウ倶楽部のように「どうぞ!どうぞ!」って
落札しちゃったのでしょう。
(故、上島竜兵様のご冥福をお祈り致します)

諦めなければ何でも叶う・・・そう信じていたのですが
諦めてなかったのは私だけだった・・・ってオチのようです(涙)

もちろん3等立地になったからと言って、商売が出来ないわけではない!
しかし、やはり立地が変わってしまった影響か・・・

来場者は減り、家賃は一等立地での賃料。

日に日に、赤字が増えてしまっていきました。

まだオープンして約2年。

まさか、こんな事になってしまうなんて夢にも思っていませんでした。
まぁ甘すぎるって言われたらその通りでもありました。

「どうする俺・・・」

何かのCMキャッチフレーズのように自問自答を繰り返すなかで

出た答えは

「店舗撤退する」

という決断でした。

このまま続けていっても好転できる兆しも無い。

次回に記載しますが、ちょうどロータリーエンジン専門店構想もあり
丁度、現、おおのじょう店(旧、福岡店)の出店候補地もまとまりそう。

であれば、様々なリソースを好転見込のない、福岡西店から
新しい専門店に移行するほうが得策。

そう考えて、スタッフに福岡西店撤退の意向を告げました。

すると、ひとりのスタッフが

「撤退するなら俺にやらせてくれないか?」と言い出しました。

そのスタッフ。

実は私の小学生からの同級生、悪友です。

数年前から、うちの会社で働かせてくれないか!って
言われて働いていたNくん。

でも、立地状況など好転見込がない福岡西店。

多くの議論を重ね、シミュレーションなど繰り返した結果、
少人数で運営すれば、なんとか採算は合うかも。

自社では専門店業態にリソース投入するので不可能。

やり方次第では、面白いかも?

普通は自動車販売店を出店するのは、
やはりそれなりにはお金は必要。

でも、Nは自社から転貸することで、
ほぼ、元手無しでお店を手に入れることが出来る。
(設備投資資金が無しという意味)

低コスト運営でやれば、採算性もある。

あとは、Nがどうしても「やらせてくれ!」という熱意でした。

でもNはお金がありません。

ちょうど、Nのお父様が退職するタイミングで、
お父様の退職金からNが1000万ほどを借りることも出来た。

運転資金はそれで賄えるから、チャレンジさせてくれ!
そう切望されました。

ただ、私は迷っていました。

なぜ?って・・・

先述の通り、Nとは小学校からの長い付き合い。

彼の良いところ、悪いところ、知っています。

彼はよくある「酒」「女」「金」にルーズな昭和的感覚の男。
そんな彼が経営者になっても、そう簡単にうまくいくのか?

昔からの親友だからこそ、変なことにはなってほしくない・・・

でも、今回の資金は大切なお父様の退職金が原資。
見方を変えれば、同じ借金でも第三者から借りるわけではなく
親子間での借金。

どのような返済プランかまでは、もう覚えてはいませんが
多少、返済が遅れるようなことがあっても、
第三者に迷惑を掛けることもなく

ブラックリストに名前が載ることもない。

最終的には親子間での話になるし、
お父様も息子に挑戦させたいからお金を貸すのだろう・・・

そう考え、店舗転貸を承認しました。

ひとつ、彼のリクエストで
「メーカーズ」の名前をそのまま使わせてくれ。
というリクエスト。

昔からの親友ということもあり
店舗撤退というイメージより、経営者変更のほうが対外的にも悪くない。

でも、会社が別にしなくてはいけないと考え
有限会社メーカーズ福岡西 という会社を設立しました。

社長はNです。

当時、有限会社の最低資本金は300万円でした。

ですので、
100万円は株式会社メーカーズが出資。
100万円は白井個人で出資。
残りの100万円はNが出資(お父様からの資金)

お父様からの資金残りは運転資金として。

このような体制でスタートをしました。

人員も居ないので、Nからのリクエストもあり
1名だけ、株式会社メーカーズより有限会社メーカーズ福岡西に出向という
形でスタッフを応援に出しました。
(スタートアップの1〜2年を応援する意味で)

そして見た目は何も変わらず、運営会社チェンジで
福岡西店の3年目を迎えることになりました。

暫くは創業したてのNも鋭意、業務に邁進したようで
それなりには業績も良かったようなのですが・・・

数ヶ月後、出向させていた社員から相談がありました。

「社長(N)が会社に全然来ません」

私の創業のきっかけになった社長と同じパターンです・・・
社長って名前がついて勘違いしちゃう人でした・・・

実は社長なんて誰でもなれます。
なるのはある意味、簡単です。

でも、社長であり続けることは当然、容易ではありません。

彼は昔、私の一緒にマリンスポーツ(ジェットスキー)をしていたのですがどうも社長業を初めてから、再開したようで。

休みに好きなことをするのは全く問題はありません。

でも、創業したばかりの会社で出勤もせずに、
毎日のように海で遊び呆けていたようです。

海仲間からの「社長なんだから」と、
無責任な言葉を投げかけられ勘違いしちゃったようで・・・

元々、大のお酒好きもあり
昼は海、夜は酒!

どんなセレブやねん!って状態。

当然、私もそれじゃ会社潰れるぞ!って何度も注意はしました。
暫くは大人しくなりますが、すぐにまた海、酒の繰り返し・・・

何度も、そんなを繰り返したので

出向スタッフ(一人で苦労していた)を引き上げるぞ!
出資金を引き上げるぞ!
メーカーズの看板を外すぞ!と、色々と話しましたが

結果として全然、変わらない。

当然、そんなことしていたら業績は急降下・・・赤字が止まりません。

いくらお父様が貸してくれた運転資金があると言っても
あっという間にお金は底をついてきました。

そんな状況下では、私も支援などできる状況でもない。

Nとは幾度と話し合いました。
でも、根本的な部分が変わらない限りは状況は絶対に好転しない。

いよいよ資金が底をつきました。

彼からは借金の依頼がありましたが、当然、断ります。

Nはこう言いました。

「絶対に店は辞めない。
金はサラ金だろとなんだろうと借りて何とかする」と。

いやいや、お父様かたの借金だから、何とかなるけど
そんなところで金なんか借りたら人生破綻するぞ!

「売れたら問題はない」
「売るためなら客を騙してでも何とかする」
「事故車でも、メーター戻し(犯罪)でも何でもやってやる」

もう正気ではなかったのかも知れません。

当然、メーカーズの名前を貸しているのに、そんなことをされたら
たまったものではありません。

先にも書きましたが、Nとは親友です。
すごく永い付き合いでもあります。

だから、彼は第三者から借金などしては絶対にダメなタイプです

今回の創業を機に、変わるのかも・・・と思いましたが、
結果としては変わってはいません。

そんな状況のなか、彼が第三者から借金をしても
彼の今後の人生に悪い影響がでるのは明白でした。

私は、こう告げました。

「今のお前に会社経営をする資格はない」
「どうしても商売を続けるなら、今の店を出て自分でなんとかしろ」
「メーカーズの商号を当然使わせない」
「仕入のオークション会員権利も使わせない」
「それでも自分でやりたいなら、やったらいい」

そうでもしてでも、彼を止めないことにはという想いでした。
事故車虚偽販売やメーター戻しは犯罪だから。

当然、創業したての彼の会社では銀行は相手にはしてくれません。

お父様に追加の借金を申し入れたようですが、当然怒られたそうです。

そして数ヶ月後、ようやく彼は諦めて廃業する決断をしました。

もちろん店舗解体の費用は自社で行いました。
出資したお金も戻っては来ません。

でも、彼が再スタートが切れる状況だけは何とか出来た・・・はず。

有限会社メーカーズ福岡西は実質、1年ほどの短い期間で幕を下ろしました。それに伴い、店舗契約の解約を実施し、
自社で2年、N経営で1年の合計3年間という短い期間でした。

でも、色々な意味で勉強させてもらった福岡西店でもありました。

後日談にはなりますが、Nのお父様は私の実家と同じ地域。
私の父(故:会長)とも、町内会ではお互いに面識ある関係です。

小学校からの友人ってこともあり、双方の家族は面識あります。

あるとき、Nのお父様が、会長に苦言を呈したそうです。

「お前の息子に騙された」と。

恐らくNは、自分の都合のよいことをお父様には報告したのでしょう。
息子を想う父親からしたら、そう感じてしまうのも当然でしょう。

私なりには全力を尽くし、逆に彼の未来のために

「敢えて辞めさせた」つもりでしたが、
当然そんなことは知らないはずです。

また、そこで釈明しても言い訳にしか聞こえないだろう・・・

そう考えて、反論したい気持ちをぐっと飲み込んで
「いつか解ってくれる日がくるだろう」

そう思うようにしました。

Nのお父様は既に他界されています。
でも、晩年にお会いする機会があったのですが

「色々とありがとうな」って言葉を投げかけられました。

その当時から十数年先の話です。

ただ、それだけの言葉でしたが、私なりのNへの想いが
知って頂けたからのお言葉だったのだろうと想像しています。

何かようやくその時に背負った肩の荷が降りたように感じました。

Nとは今でも親友です。
今は電気関係の事業を自分で経営しています。

福岡西店閉鎖後は、暫くはお互いに顔も合わせない状況でしたけどね(笑)

そんな様々な想いが詰まった福岡西店。
平成11年に完全撤退をしました。

それから25年後。

当時の店舗の数百メートル近くに、改めて店舗出店になったときに
何か運命的なものを感じたのも事実。

そして、改めて25年前の失敗を繰り返さないように・・・

そんな想いで2018年、ケイカフェふくおかにし店、そして本社機能を
移転させてスタートした。というのが経緯です。

福岡西店撤退の平成11年。
同時に九州発となるロータリーエンジン専門店

「メーカーズセブンパワーズ」が、大野城市にオープンしました。

そのお話はまた次回。


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