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6月公開ミーティングを終えて・・・「教育」の先に何があるのか?
6月に毎週土日の朝・午後・夜の3回、計24回。
ClubhouseやFacebook、Twitter、InstagramというSNSツールを活用してのオンライン上のミーティング。
「これからの教育」について、参加者各々の実践経験や知見、思いや考えを熱く、時には淡々と、議論をしました。
60分という時間はあっという間だったのは、言わずもがななのですが、やはり教育については、自分たちが通ってきた道であり、子育ての経験だったり、まさに今子ども達と向き合って取り組んでいるという方々なので、色々な意見が出てきます。
その中でも、共通した課題というのが見えてきます。それは、その子がどうありたいのか?について自他ともに認められ、その子の持つ良さや個性を伸ばしていくということが、実はできていないということ。
例えば、学校に行かないということ。これは社会生活を送る上で、会社に行きたくないという理由は通用しない、自分勝手は他者の権利も奪うという行動につながるという理屈。だから、きちんと子どもの時から身につけさせなければならない。
社会に出れば、法律も含めて様々なルールがあり、それをきちんと守っていくことが必要となるから、普段の生活でも決められたルールを守れるようにしないといけない。
価値観は多様であるのだけど、社会に出れば、何かしら枠があり、そこできちんと過ごすことができる大人?にすることが、重要になってきてしまう。いわゆる平均値の教育ということでしょうか。
これは、ある意味学力という軸は、テストの点数が良いという明確な基準がありますが、「社会」という本当に漠然としたものだと、こういうことだよねという何か大人側の暗黙の了解や都合の中でしか見ることができないという危うさもあると感じています。
不確実な「社会」に合わせる人を育てていきたいのでしょうか?
一人ひとりが輝く社会をどう築いていくのかを考え、必要な力を自ら学んでいく人を育てていきたいのでしょうか?
もちろん先生達は、子ども達のことを真剣に考えています。学校や先生に、私たちがもとめすぎているのではないでしょうか?「社会」に出るためにはどの学校に行かせるのか?学校選びが始まります。そして、あの先生はうちの子をきちんと評価してくれないなどなどと文句も始まります。
先生も万能ではありません。得意なことがあれば、苦手なこともあり、足りない部分もあると思います。しんどい時もあれば、感情的になることだってある。でも得てして先生否定になりますよね。
学校は、やはり学び舎です。何を学ぶ場所なのか?そして、みんなが笑顔で学び合うことができる環境は何なのか?それは単なる一般論としてではなく、きちんと一人ひとりが考え、その当事者として実践していくことなのかなと思います。
「みんなの学校」で知られている木村先生の教員向け研修動画ぜひ一度ご覧になってください。
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