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掌編小説「異星人」

(25年ほど前、自分が20代半ばの頃に書いた小説です)

《…一面飴色だ。つやつやと木目を際立たせるワックスのてかり、天井から注ぐ水銀灯の昼光色と相まって、ここはいつでも季節や時間というものもなければ、僕という個性も徐々に奪われていく、そしてどんな思惑や思念すら四角く密閉してしまう、小さいながらも抗いがたく頑迷な世界だ。

発汗と呼吸に伴う筋肉内の燃焼の熱にぐつぐつと煮溶かされていくように、僕は静かに希薄になってゆく。コートという檻に閉じ込められて…》

 隆はさっきからしつこい耳鳴りのような声を聞いていた。バスケット・シューズがフロアを擦る悲鳴じみた連続音や、「ナイス・シュート」といったお決まりの下級生の声にまじってそれは確かに聞こえてくる。

男の声かと思うと、いくらか甘い音色にとってかわり、女の声かと思えば、妙に野太く歪んでしまい、つかみどころがない。

 練習中に注意力が散漫になることなど考えられないことだ。

 隆は軽く頭を降った。4年生の自分にとって就職に直結する大事な試合が控えているというのに。隆のようなほとんど職業的にスポーツをやってきた輩にとって、履歴書の隅に特技として控えめに記されるようなそれとは違い、バスケットボールの実業団チームを所有する大手企業のスカウトマンの目にとまることがそのまま就職活動となる。

 ふと、パスがまわってくる。

 油断していた隆はそれでもなんなく相手をかわし、ゴール下へ深く切り込む。

 数枚の壁に阻まれて、やむなく一旦ボールを返す。

《……狭いコートで10人もの選手がひしめきあうバスケットに偶然や幸運の入り組む余地はさしてない。
 精度の高いパスと確実なシュート、味方同士何百回と繰り返し予行されたフォーメーション。

想像力やトリッキーさはむしろ邪魔なだけ。

最初は誰もが手品のような奇抜なプレーに眩惑されるが、派手に体力を消耗したわりにその見返りは小さい。

畢竟、身体は自然に一番効率のよい方法を覚えてゆく。

予定調和的に僕はそこへ全力で駆け込み、最良の力加減でボールを置いてくる。ステップの歩幅も手首のスナップも完璧だ……》

 いつも通りのありふれたプレイだった。思い切り地を蹴る。しなやかな筋肉のバネは隆を誰よりも高く運び、その一等高みにある場所で刹那、優越の表情を浮かべるはずだった。

 しかし、まだ途切れていない例の声が他でもない自分の声だと気づいたとき、一瞬何か眩しいものが視界をよぎり、隆の全身の筋肉が不意に立ち止まった。

ぱたりと意識を失ってしまった人のように上腕二頭筋も、大腿直筋も、その他いかなる微細な筋力もすうっと魂が抜けるように……。

ことり、とボールは床に落ち、てんてんと転がった。

誰もが一瞬ぽかんとそれを目で追い、そして不審な顔つきで隆を見た。すぐに異変に気がついたのはマネージャーの塚原と言う同級生だった。

「大丈夫か?」

 救急箱を持ってかけよってくる。

隆は茫然と立ちつくしたまま、首をひねって今見たものを探した。

一瞬だったけれど、だからなおさら鮮やかに瞼に焼きついた。

明らかに金属めいた輝きをもつ一条の閃光。

体育館の2階観覧席の隅に非常扉がある。館内にある窓はそこだけだ。はめこまれたガラス板の向こうを確かに銀白色の輝きを持つ何かが過ぎ去っていった。

まだ宵の口とわかる、どこか温かみの残る青白い中空が、ガラスの向こうにしん、と矩形に切り取られていた。

「UFO……みたいなもん、見た。窓の外」

 隆はやっとのことでそれだけ口にした。

「斎藤―、お前慣れない会社訪問やら何やらで知恵熱でも出したんかぁ?」

 それを聞いた山岸という五十過ぎの監督がからかうようなダミ声でやじった。チームメートがどっと笑う。隆は確かに数日前、監督を通じて打診のあった企業に挨拶に出向いていた。

「斎藤、今日はもういい。寮に帰って一晩よーく寝てこい」

 監督は呆れたような、しかし半ば安堵の混じった声で言った。

気の抜けたプレーはけしからぬが、今ここで1番の主力選手に怪我でもされれば面倒だ、と眉間に寄せた皺もどこかわざとらしい。

他の部員ならグラウンドでも走ってこいと、一喝されそうな場面だったが、これくらいの特別扱いは隆にとってもう特別なことではなかった。

 といっても練習を途中で抜けるのは、小学校3年生でボールを触って以来、正真正銘初めてだった。中学のとき、全国大会に出場し、高校時代はインターハイベスト4、有終選手にも選ばれた。

同世代のライバル達が怪我で離脱したり、様々なスランプで伸び悩んでいるのも余所目に隆はすくすくと伸びていった。ナショナルチームの候補に挙がった経験もあり、将来をもっとも嘱望された選手の1人なのだ。

 ロッカールームへ伸びる暗い廊下で背後から呼び止める声があった。

「隆、くらーく寮になんかひきこもんないで彼女とでも遊んでこいよ」

 マネージャーの塚原だった。

「言われなくたって」

 まだぼんやり夢うつつだった隆は、そうきりかえしたものの、その一言で初めて気がついたみたいにロッカールームで慌てて携帯電話を押した。

「何? どうしたの、斎藤君。練習は?」

 最初は怪訝な口ぶりだったが、たまたま学内に残ってレポートをやっていたという陽子は隆のいつもとは違う様子にピンときたらしく、待ち合わせた正門前にすぐかけつけてくれた。

 本ばかりつまった随分重い鞄を隆は持たせられ、2人は並んで街へとさまよいでた。 

 確かにこんな中途半端な時間、ぽんと自由時間をもらっても隆1人ではもてあましてしまっただろう。それくらい隆の生活は今まで競技生活にのみ傾注されてきた。

 しかし三月ほど前、陽子に出会った。それまでにも何度か恋人はできたけれど、陽子はこれまでと何かが違う、そうはっきり感じることができた。

 初夏のまだうすら明るい繁華街は、たくさんの人間がそぞろ歩き、笑いさんざめく声、浮かれた足音、ジェリービーンズを撒き散らしたようなネオンがきらきらと2人の行く道を明るく彩っていた。

「UFOを見たぁ?」

 陽子は自分も今まさにUFOを目撃している人のように大げさに目を丸くして、それからくすくすと笑い、やがてカラカラと口を大きく開いて笑った。隆はいつもこの笑顔を見るとほっとする。

「今思いついたんだけど、地球を初めて飛来した異星人が、俺らの練習風景をたまたま目にするとするだろ。

彼らにはスポーツや娯楽の概念が一切ないんだ。

働き盛りの屈強な男達が憤怒の表情で走り回っている。でも俺らは何かを製造しているわけでも建設しているわけでもない。かといって戦争でもなさそうだ。これは一体、何かの宗教儀式だろうか?ってエイリアンたちは首をかしげて帰ってゆく」

「フフ、面白いこと考えるのね。でも私は思うの。何かを真剣に熱意を持ってやっている人達のことは、きっと尊ばれこそすれ、さげすまれたりしない。斎藤君、あなたは何か今迷っているのかもしれないけど、でもね」

 そこで陽子はふっと言葉を切った。

「お腹がすいてるの。何か食べましょう」

 陽子は半ば強引に隆の腕をとって人ごみをぬうように前へ前へ進んでいった。

 数週間後。隆たちのチームは大会でまずまずの成績をおさめ、隆自身も望み通りのチームへの入団が正式に決定していた。

 練習前のやはり夕刻だった。体育館へ向かう隆の携帯電話が鳴った。遠くでカナカナ蝉の声が聞こえ、涼しい夕風が渡っていた。

「陽子?」

 ひどく声が遠く感じられた。

「斎藤君、私。今、田舎の実家へ戻ってるの。こっちで職を決めたわ。さっき内定をもらったの」

「え? だって俺が東京で働くから君もこっちで……」

「聞いて。私たちが学食で出会ったあの日。私はさりげなくあなたの隣に腰をおろして本を読んで、あなたに今何時かって尋ねたわ」

 そう、それが2人の出会いだったのだ。

「あれは偶然なんかじゃないの。私、半年ほど前に、ずっとつきあっていた恋人に裏切られてひどく落ち込んだことがあった。

そんな時ふと体育館のそばを通ったの。

何気なく中を覗いたら、練習試合っていうの? 

その時、あなたを初めて見た。私、あなたから目を離せなかった。

失恋で落ちこんで何もかもやる気をなくしていた自分が妙に恥ずかしくなった。何かに打ち込む人の姿って、無条件に人を勇気づけてくれるものがあるんだわ。斎藤君、あなたには人をそうさせる能力があるの。それはとても恵まれた資質なんだわ」

「俺らの出会いが偶然じゃなかったにしろ、でも君は俺を好きになったんじゃないのか」

 受話器の向こうに沈黙が流れた。その一瞬の停滞した時間に隆はどうしようもない脱力感を覚えた。

「やりたいことが見つかったの。私もあなたのように輝いてみたいから」

 隆の頭をSF映画によく出てくるようなUFOが静かに横切っていく。

銀色の船体は青い地球を今、離れようとしていた。真空の闇を無垢な瞳の異星人たちはまた新しいものを探しに旅立っていくのだ。そう、エイリアンは陽子だったのかもしれない。そして陽子の瞳にうつっていた自分を今は信じたい。

 隆は大きく息を吸うと体育館へと力強く足を踏み出していた。

(完)


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