若い日、些細な泡に

生きていくべきか、死ぬべきか、それが問題だ

この台詞を初めて知ったのがいつだったかは思い出せないが、自販機で水が100円で売られていることを知ったのは小学4年生の時だったと思う。

自転車に乗って、足腰自慢大会のようにして登った坂道の先に、広い公園があった。たしか、誰かの家の近くだったからそこに遊びに行っていたような気がするが、それが誰だったかは、もう記憶に無いし、その公園への行き方ももう分からない。

私たちは坂道に落としてきた水分を補給するべく、毎回必ずその自販機で飲み物を買っていた。みんな揃って120円のサイダーを買って、空いた缶を蹴って遊んで、ぐちゃぐちゃの缶をどこかに捨てて帰っていた。

どんなにTシャツが汗で濡れても、どんなに毛皮の服の静電気が辛くても、私たちは決まって120円のサイダーを小さなポケットにしまって走り出していた。

そんな日々もあっという間に過ぎていって、卒業を迎えると、一番仲の良かった友達が私立の中学校に行った。お互い寂しかったと思う。しかし、当時は新しい生活へのワクワクが勝っていた。

中学に入ってしばらくすると、二番目に仲が良かった友達が学校に来なくなった。家庭の事情だと説明していたが、私にはその意味が分からなかった。

高校に上がったら、あの時缶を蹴って遊んでいた友達は全員バラバラになってしまった。中学でも特別仲良くしていたわけではなかったけれど、寂しい気持ちになった。

高校を卒業すると、私は家の近くにある郵便局で働くことになった。

毎日必死に働いていたけど、入ってくる給料は微々たるもので、恋人へのプレゼントすらまともに買えなかった。

すっかり暗くなった帰り道をバイクで走っていると、前方に見覚えのない光が見えた。近づくと、それは赤の新しい自販機だった。

ちょうど喉が渇いていたので、水でも買おうと財布を取り出すと、小銭のポケットには100円しか入っていなかった。自販機で100円で買える飲み物は水くらいなものなので、ちょうど良かった。

今年の年号が刻印されたその硬貨を手に取り、そのボタンを押そうとしたところで、私は驚いた

全てのボタンが緑に光っているのである。全ての飲み物の値段が100円になっている。

とても珍しいものを見たという気分になって、写真を撮ってSNSに上げようとスマホを取り出した。パスワードを入力して、ブラウザを開くと、トップページのニュースにおかしな一文があった

【この世の問題、全て解決か】

と、




ある夏の昼間に、少年たちは坂道を駆け上がっていつもの公園にやってきた。少年たちはいつものように、小さな小銭入れから3枚の硬貨を取り出して、120円のサイダーを買った。しかし、一人の少年は、しばらくみんなの様子を窺った後、1枚のピカピカの硬貨を取り出して、100円の水を買った。

「サイダー飲まんの?」

「うん、サイダーは飽きたわ」

そんな会話をして、サイダーより少し大きいペットボトルを、窮屈にポケットにしまった。

確か、あの時はかくれんぼをしていたんだっけ。




私は嬉々として100円のサイダーを買った。炭酸が喉を通る、久々の感覚に、少し涙してしまった。

そうか、全て終わったんだな。

飲みかけのサイダーをポケットにしまって、いつもよりバイクを飛ばして坂道を上がる。明かりのない道をひたすら進み続けた。生きていくべきか、死ぬべきか、無論、私は生きていく。どこまでも、どこまでもこのバイクに乗って進んでいく。肩にかけたバッグは塀の向こうに投げて叫ぶ。硬いジャケットを脱ぎ捨てて、私は風になる。貧困のまま生きていくべきか、貧困のない世界に身を投じるべきか、それは、




あの日の少年たちは何を追いかけていたのだろうか、何を追いかけてここまで来たのだろうか、いや、それはまだ分からない。旅路を急ぐ。そこは行き止まりだ。その道には毒ヘビが出た。あぁ、橋が落ちた。

何かを追いかけていたら、大きな道に出た。この道は安全な道だろうか、毒ヘビは出ないかなぁ。そんなことを考えていたって、進むしかないのだ。風が吹いた、やけに暖かい風だ。上着を一つ道に捨てた。あ、上着に小銭入れが入ったままだった。まぁいいか、旅路を急ぐ。時間が過ぎていく、追いつけ、追いつけ、心の中で呟く。進んでいく、進んでいく、進んでいくしかない。いつか絶対に追いついてやる。足を進める。足が急に軽い。気づかないうちに宙に投げ出されている。ふわふわと浮いている。向こうの様子が見える。私は泡になっていた。先はまだまだ長いのに。

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