見出し画像

妊活日記―夫の足が怖い:私の持病

12/19:夫婦の妊活日記⑩

 沖縄時代のラスト数か月…手に、それまでには見たことのない膿を持った水疱とかゆみを感じるようになっていました。
 カフェを営んでいた時には業務用の安い食器用洗剤を毎日使っていたことが原因だろう、洗剤を使わなくなったら治るだろう…そんな風に思っていたのに、沖縄を離れ夫の地元での生活が始まると一段と症状が悪化していきました。 
 
 最初は手にだけできていた水疱が足の指にも見られるようになり、皮膚が向けたり、ひび割れたりするようになっていきました。
 意を決して皮膚科に受診すると、「掌蹠膿疱症」という診断結果に。
 病名は発覚したものの、「原因ははっきり分かっていない」「よって治療法も解明していない」「薬も対処療法で、根本は治らない」という説明でした。

 「患者のほとんどが喫煙者」と言われても喫煙経験もなく、「ストレスをためないように」と言われても症状そのものも大きなストレス…といいう状態の中、できる対処方といえば、「大豆製品を避けること」「冷えないようにすること」「漢方治療を取り入れること」というようなものでした。
 ただ、足もとを温めようとすると膿疱のかゆみがひどくなり、対処すること自体も病気によって困難…という状態でした。

 当時就いていたパートは高齢者用のマンション内レストラン。まだ良かったのは、当初手の症状から始まったこの病気は、この頃には足が中心に症状がでるようになり、他人に移るものでもなかったので、痛みさえ我慢すれば仕事は続けていられました。
 ただ、ローファーを履いて常に歩き回るホールの仕事は、足への負担が大きく、その頃の私の足の裏は指の付け根からかかとまでジュクジュクと大きなひび割れが入っていました。膿を含んだ膿疱が、一日の仕事を終えると全て割れ、皮膚が避け仕事終わりに見る足は、ストッキングの中でいつも血まみれになっていました。それは、自分で見ても顔をしかめたくなるもの。夫はどんな気持ちで見ていたのだろう…私は辛さ以上に恥ずかしさと申し訳なさを感じていました。

 夫と寝る前、パックリと割れた傷に薬を塗りこんでガーゼを巻き付けて「痛い、痒い、ひどくなった」と落ち込む毎日。夫と布団を並べて寝る時にも足が触れる度に痛みに顔をしかめる生活は、何度も夫に謝らせてしまう時間の積み重ねでした。
 病院の治療や薬に効果は感じられず、症状はひどくなる一方で、お金を使ってしまうことと心配させてしまう罪悪感、「こんな訳の分からない病気になるような身体、赤ちゃんが授かれないのは私のせいだ…そもそも夫にとって、こんな状態の私は”女”ではないだろう」そんな悲しい想像を拭えることはありませんでした。

 病気のせいで履けなくなったサンダルも、ひざ下まで広がってしまった水疱も、私の足を避けるのに慣れた様子の夫の寝姿も、辛さに気付かない振りをして「心と身体への痛みがあるのが普通」…そんな顔をして、「夫~!!見てぇ~また魚卵増えた~!きもっ!!」なんて自分で茶化しては夫に困った顔をさせて…

何でもない振りをして悩んでいる自分を忘れること、
妊活がストップしたことを考えないのが当たり前だと思い込むこと、
病気を日常だと思うこと

 そんなことが私の頭の中の大半を占めていました。

今日はここまで!
最後まで読んで頂いてありがとうございます。
スキ!やフォロー、励みになります。よろしくお願いいたします。
では、また明日✨
明日は久しぶりの子育て知恵袋です。

 

いいなと思ったら応援しよう!