妊活日記―“経過と結果”の溝
10/31(月):夫婦の妊活日記⑤
近所の飲食店でのパートを続けていた私。
パート仲間の主婦の中では、子育てを終えた方一人を除いて、「妊婦組」と「妊活組」に分かれていました。
普通にそれぞれ仲は良いけれど、互いの領域の話をする時には少し気を遣い合って言葉を選ぶ。
そんな感じ。
そんな関係の中で、妊婦のパート仲間が、ある情報を教えてくれました。
「地元の人しか知らないお寺があるよ。
子授けで口コミが広がって…私、今の子授かる前に行ったからオススメ✨」…そこは本当に小さなお寺で、今改めて探しても見つけられないようなお寺さんでした。
そして予定のない週末、夫に提案をして行ってみることに。
でも、大きな母子像を目の前に、私が祈ったのは、結局私たち夫婦のことではありませんでした。(そういえば夫は何を祈ったんだろ?)
私が祈ったのは、当時不妊治療をしていた姉夫婦のこと。
がんばっている姉夫婦が報われて欲しかった。
私たちと違って努力できる人たちなのだから…
そして、ちょっと夫婦で妊活ができる姉夫婦が羨ましかった―。
そしてこの時の私は、お寺の中にあった水子供養に心を寄せていました。
この時までに一度化学流産をしていた私たち。
お供えくらい、持って行けば良かった…そう申し訳なく思いながら、手を合わせました。
帰り道、夫に姉夫婦のことをお願いしたことを話すと「私らしい」と笑ってくれました。
この時の私はまだ、心のどこかで
「それでもできるだろう」と希望を持っていたのかも知れません。
真っ先に自分以外の妊娠を願ってしまえるほどには、「自分の不妊」はまだ遠かったのかもしれません。
この日から約4ヶ月後に姉よりもすすんだ治療を私たちがすることになるなんて、想像もしていませんでした。
私たち夫婦の所に遊びに来る予定だった姉から「やめておく」との連絡が入り、理由を聞いた時、姉が引くほど号泣し、
「沖縄に子授けのお寺があって、お姉ちゃんのことお願いしてん!」
と自分のお手柄を主張すると、
「自分のことお願いしたらええのに。あんたも赤ちゃん待ってるんやろ?」と苦笑いしていました。
でも、もう一回「今度は自分のお願いしに行きたい」と夫には言えませんでした。
連れていってもらったのに姉小路お願いをしたのは自分やし…なんて、勝手に夫の気持ちを悲しい方に想像して。
今思えば夫はそんなことウダウダ言う人でもないのに、その時の私は、夫の懐の深さを見誤っていました。
その感覚の見誤りの原因に夫婦間の感覚の差があっような気がします。
それは「経過と結果」。
毎月生理が来る度に「今日もダメだった」という結果を突き付けられ、凹んでいた私。
対して、私から「ダメだった」という報告を受けるだけで、あまり実感らしいものはなく経過を見守っていた夫。
夫にとって結果が出る日は「妊娠確定の日」か、
「諦めると決める日」のたった一回。
そんな小さくて大きな感覚の違いが、「私だけ焦ってる」という不安や不満、そして夫の優しさを信じきれずに「どうでもいいと思ってるの?」なんて感じてしまうことになったのではないかと思います。
…あの頃の私に言いたい。
「勝手に想像しないの!もっと夫の声、聞いてみな!」
でも、夫の声が届くまで、私にはまだまだ時間が必要でした。
ドンマイ…あの頃の私。
ごめんよ…あの頃の夫。