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妊活日記―沖縄を離れる日

11/21(月):夫婦の妊活日記⑧
 ブックカフェをオープンしてから半年ほどしたころ、北朝鮮の弾道ミサイルについての報道が繰り返されるようになり、関西に住む互いの両親からも心配する声が増えてくるようになりました。
 特に私の両親は夫の両親に比べて高齢のため、
「お互いに何かあったときにすぐに駆け付けられないのは、今後後悔する日が来るのではないか。」と夫婦で話しあい、沖縄を後にすることに決めました。

 私たち夫婦の結婚生活をスタートした沖縄は、同じ日本語なのに分からない単語も多く、文化も時代背景も全く違う場所。
 その場所でスタートした結婚生活は県外出身者への差別や飲食店特有の苦労などもあり辛いこともありました。しかし、その辛い経験を夫婦で乗り越えられたこと、共にカフェを造り上げる時間と経営を経験できたこと、文化が違う中で夫婦でおしゃべりをする時間をもてたことが、私たち夫婦の財産になってくれたのではないかと思います。
 きっと沖縄での生活のお陰でお互いの価値観も変わり、お互いの関係の土壌も耕すことができたのだと、今では沖縄での生活、出会い、文化、価値観、悔し涙にも感謝しています。結婚してすぐにどちらかの地元で生活をスタートしていたとしたら、私たちの関係は、今とはまた全く別のものになっていただろう、と…。
 きっと私が今でも「夫大好き」で友達から「旦那オタク」と呼ばれるのは、この沖縄での時間があったからです。

 夫が生まれ育った街で新しい二人の生活がスタートしました。新しいスタートをした私たち夫婦のまず第一の課題は「仕事を見つけること」。不思議と焦りのようなものはありませんでしたが、夫の苦労を見守るしかない辛さを痛感していました。
 そして「いつかまたブックカフェができたら…」と話をしながら、夫はサラリーマンとして、私はパートタイマーとしての生活をスタートしました。
 まずは新しい環境で生活を落ち着けることが頭の中にあり、妊活が話題に出ることは少し二の次になりながら、それでも少し期待して葉酸サプリの摂取などは続けていました。

 ただ、沖縄での二人だけの生活とは全く変わってしまったこと…それは、周囲の声がダイレクトに、無遠慮に聞こえてしまうこと。
 自称「あなたの心配をしている」という人たちの言葉たち、勝手に「努力していない」「子どもはいらないと思っている」と思い込んでいる人たちからの言葉たちはあまりにも辛く、何度逃げ出したくなったか分かりません。「子どもができないことをちゃんと夫に謝っているの?」「本当に欲しいなら、こちらにも努力が見えるはず」「お父さんは孫を見ることを楽しみにされてるはずだよ」「やっぱり大学院に行くような女は、子どもが欲しくないんだ」…
 今でも忘れることができない言葉たち。きっとこの言葉を言った人たちは、傷付ける意図はなかったんだろうと思います。だけど、その無意識の思い込みと、無配慮な言葉がどれだけの刃物になったか。
 せめて自分が他人に浴びせるようなことがないよう思慮深さをもちたいと、自分への戒めにしたいと思っています。
 自分と価値観の違う選択をしている人、自分の感覚からは理解できないことをする人をいかに理解し尊重できるか…自分の型にはめてしまわないで物事を見られるか…そういうことこそが大人力なのではないでしょうか。


 …あ~辛かったなぁ。このとき…
 今でもこの時のことを思い出してこの文章にしていると、少しお腹がチクッと痛みます。
 乗り越えて良かった。環境が変わって良かった。
 この時間が今の平穏を、夫婦の安心感をもたらしてくれているのだと、今だから辛かった言葉にすら感謝できるけど、感謝になるまで時間がかかったなぁ。夫婦で踏ん張って、良くここまで来たな…と今よりちょっとだけ若い当時の私たち夫婦を愛おしく思います。

今日はここまで。
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