「俺は知事」だからこそ(リーダーシップとは?)
世間ではもっぱら兵庫県 斎藤知事のパワハラ疑惑が話題となっている。
「俺は知事だぞ」は個人的に久しぶりに刺さった言葉で、こんな事を今の時代現実に言う人がいるんだと心底驚いた。
自分に置き換えた場合、
「俺は部長だぞ」
「俺は父親だぞ」
なんて言ったところで、部のメンバーや家族がどっちらけて次の瞬間から相手にしてもらえなくなるのがわかりきっているので、とても言う気になれない。
自民党総裁選も近づいており、リーダーに関する話題が尽きない。
この機会にそもそもリーダーシップとは何か?
自分の考えを簡単にまとめてみたい。
リーダーシップがある人とは知事の立場でひとことで言うならば、
「俺は知事だからこそ」と言える人。
知事だからこそ県民のために出来る事は何かを考える。
権限がある事は、当然周りの人間は分かっている。
(そんなことをわざわざ強調しなくていい!)
そうした状況をメタ認知しつつ、
その立場だからこそ貢献できる事を最大化する。
上下関係は組織における力学の意味でしかなく、貢献のために適切な動力として上下関係が必要だと考えれば、上手く使えばよいだけの話。
リーダーシップがあるとはそういうことを意識的かつ洗練された形で実践できる人
だと考える。
この文脈でパワハラなんて、起こりようがないのである。
斎藤知事は東大を出て総務省からスタートし、キャリアとして色々な市や府県で課長職もしていたようである。
普通であればそういう下積み時代に色々と頭をぶつけて、組織内の力学を学んだりリーダーシップの本質的な部分を体得するはずなのだが、、、
パワハラについては「絶対にしてはいけない」と指導する立場であり、率先垂範で示すべきであったはずだ。
どこでどう、おかしくなってしまったのか、、、
昔から、パワハラをどこかで発現させてしまうような、リーダーシップに対する間違った危うい認識があったのかもしれない。
リーダーシップという言葉から連想するいわゆるカリスマとか強い指導者ではなく、現代社会においては組織全体の実効性を上げるための高度な知識(主に状況に対する正確な言語化能力)や経験に基づいた説得力あるコミュニケーション力、バランス感覚が非常に重要になっていると、改めて考えさせられた。
以上、まだまだ書きたいことはありますが、今回はこの辺で。
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?