
なぜ職場のあの人は動かないのか!?~積極的な行動を促す「心理的資本」とは何か~
人的資本(知識やスキル)や社会関係資本(人とのネットワーク)といった言葉はもう結構日本でも浸透しているのではないかと思います。
では、「心理的資本」という言葉は聞いたことがありますか?
心理的資本というのは、人間の可能性を広げるポジティブな行動に繋がる心理的エネルギーのことです。後述しますが、心理的資本はパフォーマンスの向上だけでなく、変化への抵抗などを減らすことにも繋がります。
なので、「職場のあの人」が動いてくれないのは、心理的資本が足りないから・・・と言えるのかもしれません。
心理的資本は従来の心理学が心のネガティブ側面ばかりを研究していたことへの批判から2000年代以降に発達してきており、比較的新しい概念です。ですが、ネブラスカ大学のフレット・ルーサンス教授を中心にかなり実証的な研究も進んでおり、ありふれた自己啓発とは一線を画すものでもあります。(SNSで流行ってる「ゾス!」みたいなマッチョポジワードとも全く違います)
そんな心理的資本は「自己効力感」「希望」「楽観性」「レジリエンス」の4つから構成されますが、その定義する範囲と向上方法、また効果などについてまとめてみたいと思います。
自己効力感:私は◯◯ができる!という確信
自己効力感は、「何かについて自分はできるという確信を持っている」ということですが、ポイントはこの「何か」というところです。
この何かをドメイン(領域)という呼び方をします。つまり、具体的に自分はどのドメイン(領域)に対し成功する自信があると認知しているのか?ということなんですね。
例えばですが、営業部門でバリバリ成績を上げおり自信を持っている人であっても、役割がマネジメントになったら行き詰まってしまうとか、人事部門みたいな他部門に移ったらパワーを失ってしまう…みたいなことがあると思います。こういった場合には、いったん喪失した自己効力感を再構築していく必要があるんですね。
ちなみに「何ができる・できないはさておき、私はそれでも大丈夫だ」という認知もそれはそれで非常に重要です。ただしこれはいわゆる自己肯定感と呼ばれるもので、心理的資本を構成する自己効力感とは違うことに注意が必要です。
自己効力感の向上方法は研究も豊富です。成功体験を積み重ねる。自分の強みが今の課題にどう役立つかを検討する。ロールモデルの存在。近しい仲間の成功(代理体験)を目撃して「自分もやれるかも」と感じる。他者から(建設的な≒攻撃的でない)フィードバックを受ける。経験から内省し学びを獲得する、などがあげられます。
希望:目標を設定し、達成まで進む力
心理的資本の希望は日本語のスタンダードなニュアンスとはちょっと違うので注意が必要です。ここでは、自主的に目標を設定して、その達成に向けて前に進む力と定義されています。
希望の向上に大切なのは、組織や上司に言われたからではなく、「自分で決めた目標」を設定することです。また、目標達成までの具体的な道のり(経路)をイメージすることも重要です。さらに言えば、「もしこのプランがダメだったらどうしよう」に対する答えを持っておくことも希望の向上にもつながります。
仕事でも具体的な目標と具体的なそこまでのステップを明確化することが大事、ということですね。付け加えると、もし今のプランがダメだったときに、組織や上司から得られる支援にどんなものがあるのか?というのも影響してきます。それは目標達成への具体的な道のり=経路を確保するための支援になるからです。
楽観性:現実的で柔軟性のある未来への楽観的な予測
楽観性は誤解を恐れずに言えば、未来へのふわっとした根拠のないポジティブな自信です。楽観主義的な人は、良い結果は「自分のおかげ」と捉え、悪い結果は「たまたま運が悪かったんだ」と受け止めます。要は自責思考をしないんです。(他責思考をするという意味ではないので注意が必要です。)
これ、言うまでもなく楽観性にはデメリットもあります。楽観的な人はリスクテイクをしがちであるということです。(あと日本人は自責しない人をけっこう嫌いますよね笑)
それでもなお楽観的であることは、悲観的であることを上回るメリットがあるとされています。つまり楽観的な態度で準備をしたり情報収集をしていくことで力をつけながら正念場に向かい、結果としてその過程で生じる苦痛と恐怖を最小化する・・・という役割もあるようです。また、客観的に成功率の低い人々がチャレンジへと向かうための数少ない原動力になるという側面もあります。
とはいえ、それでも頑なな楽観性はやはり害もあります。思い込みやバイアスで「大丈夫、大丈夫」と言い続けても、自分や周囲を危険にさらしてしまうからですね。そこで、「現実的で柔軟性のある」楽観性を持つことが重要ともされています。
楽観性の向上に必要とされる要素は他のものとは少し変わっています。過去の失敗からも自分の強みを見出したり、コントロールできない要因を割り切るような、「過去への寛大」。また今現在の好ましい状況にフォーカスし、それを心理的なエネルギーに換える「現在への感謝」。そして視点を将来へと向ける「将来への機会探索」。
将来への機会探索は希望の開発と被るところもありますね。ちなみに過去は寛大と現在への感謝については、これは私の個人的な体験に基づく感想ですが、自己受容やセラピーのアプローチが最も効く気がします。
レジリエンス:逆境に立ち向かい、成長や挑戦に向かう力
レジリエンスは一般的な言葉のニュアンスどおり、逆境に立ち向かうという困難からの回復を含みます。そこに加えて、「成長や挑戦」といった、前向きな困難にも向き合う要素も含まれることがポイントです。
レジリエンスの向上については、人的資本(スキルや知識など)の獲得がひとつの手段です。そりゃスキルも知識も人生には重要だ。また、社会関係資本(人間関係やネットワーク)もレジリエンスには役に立ちます。苦しい時に相談できる人、頼れる人のネットワークがどれだけあるのか、ということですね。そしてもちろん他の心理的資本も影響してきます。
もう一つ、昇進や責任ある仕事といった機会は、例えチャンスであっても個人への心理的負担という意味ではリスク要因であるのも事実です。そこで逆に、そのリスクを成長機会と捉え、コーチングやメンタリングを提供するなどの支援によって底支えすることも有効とされています。
それで、心理的資本のもたらす効果って何?
冒頭でも少し述べましたが、心理的資本は様々なポジティブな効果を個人や組織にもたらします。ここでは先行研究からその一部をご紹介します。
パフォーマンス向上や変化へのシニカルな態度の減少など
こちらは心理的資本が組織の従業員の態度、行動、パフォーマンスに与える影響のメタ分析です。

左側が心理的資本で、下記の通り右側の要素に影響を与えるということを意味しています。
【心理的資本が向上させる要素】従業員満足度、コミットメント、ウェルビーイング、組織市民行動(従業員が分担された役割以外の望ましい行動も率先して取るふるまい)、パフォーマンス
【心理的資本が低下させる要素】変化へのシニカルな態度、ストレスや不安、離職意向、逸脱行動(組織の規範を破るような行動)
エンゲージメントが向上する
心理的資本はエンゲージメントの向上にも寄与します。個人の心理状態としての「ワーク・エンゲージメント」は、「仕事への熱意」「心身の活力」「仕事への没頭」という3要素から構成されます。それが心理的資本(=下図のポジティブ感情性)と概念的に近いため、心理的資本の向上がワーク・エンゲージメントの向上に繋がるという理屈です。

(赤字は筆者補記)
ワーク・エンゲージメントの向上は、組織コミットメント、個人の自発性、役割外行動(≒さきほどの組織市民行動)、パフォーマンスの向上に繋がるとされています。最近エンゲージメントサーベイが盛んなのも、こうった実際的な理由が背景なんですね。
リーダーシップが向上する
心理的資本は最新のリーダーシップ理論の1つでもある、オーセンティック・リーダーシップの向上にも役立ちます。オーセンティック・リーダーシップとは、リーダーが自らの倫理規範に従い、高い自己認識や透明性の高いコミュニケーションを取ることなどを通じて、目標達成に向けて成果を出すリーダーシップスタイルになります。

※英語の元論文は Luthans et al. (2003). Authentic Leadership A Positive Developmental Approach
こちらの図はそのメカニズムですがちょっとややこしいので下記にもう少し文脈を補足します。
人生経験が個人の心理的資本をつくる。
優れたビジョン・戦略・組織文化が、「従業員その人の成長を真摯に願う」ポジティブな組織をつくる。
人生の岐路に立つような重大な出来事(トリガーイベント)が、上記の「個人の心理的資本」と「ポジティブな組織」という要素を基盤として、リーダーの自己認識を高める。
自己認識が高まると自らの強みやストレッチポイントが分かるので、自己制御行動が開発される。
自己制御行動によって(行動変容が起こり)、オーセンティック・リーダーシップが発揮される。
このように、オーセンティック・リーダーシップの開発においては心理的資本が大きな影響を及ぼすとされています。
なぜ今心理的資本の話をしているのか
まず私がこの心理的資本に触れてまず感じたこととして、これらのポジティブ感情に関するものが、巷で流通する「根性論的なポジティブ」とは明確に一線を画すということです。それはもしここまでご覧いただけたなら、なんとなくでも伝わるのではないかと思います。
ポジティブになるということは、「ポジティブでないもの」に蓋をして、むやみやたらと明るく元気にふるまうことではありません。不安を感じたり一歩を踏み出せなかったり、そんなネガティブな自分を責めたりすべきことでもありません。
本当に意義のあるポジティブ感情というのは研究の中でも実証的に特定されてきており、そして(人的資本や社会関係資本と同じように)意図を持って育むことが可能である、ということです。それがどのような効果に繋がるのかというのも、研究の中で明らかにされています。
色々な組織の中で「働かないおじさん」や「変革への抵抗者」というのも批判されるわけですけど、そもそも日本に関しては、働いている方の心理的資本がもうすでにすり切れてしまっている・・・というケースが非常に多いようにも思います。
就職氷河期からずっと「お前の代わりはいくらでもいる」という攻撃を受け続けてきた方もいらっしゃるわけで、この風向きが変わってきたのも2017年頃からの働き方改革の進展や直近の人口減少による採用難が出てきてからじゃないでしょうか。
人や組織の問題は多様で多面的なので、すべてを心理的資本が解決するとは思っていません。ただ少なくとも言えることは、互いに非難をしたり攻撃し合うことにリソースを使うよりは、心理的資本の開発にリソースを向けた方がよっぽどいいだろうということです。
そんな気持ちもあってこの記事を書いてみました。また、私もコーチングや人材開発・組織開発ファシリテーションをするうえでは、もっと多くの方が心理的資本を育むことによって自分の素晴らしい可能性を見つけてほしい・・・という思いもとても大切にしながらやらせていただいています。