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分かり合えないことを理解する-ポッドキャスト『3003-サンゼロゼロサン-#19、20』の感想
出演者の三者三様の意見が飛び交い、それが最終的に合意形成しないまま、互いの違いを受け止めながら進んでいく会話がとても小気味よかった。
最近聞いたポッドキャストの中で一番好きな回だ。
経済誌『Forbes JAPAN』から「世界を変える30歳未満の30人」”30 UNDER 30”に選ばれた人達がいる。
気鋭の経営者から世界的ミュージシャンまで対象者は幅広いが、共通しているのは未来に希望をいだき、新しい可能性を切り開こうとしている“若者”だということ。
そんな彼らは彼女たちは日々どんなことを考えどんな未来を実現させようとしているのか?
その頭の中を覗き聞きできるようなビジネスカルチャー番組『3003 -サンゼロゼロサン-』。
令和ロマン髙比良くるまと月間MCがゲストを招き、ビジネス、環境、音楽、映画、グローバル、食などなど様々な業界の新たなトレンドや課題感を深ぼっていく。
日曜の夜、30年後をひっくり返すかもしれない3人のエッジの聞いたトークをお楽しみください。
別ジャンルの3人
まず、この3人について、私は大好きな3人だ。
だからこのコラボは、聞くしかなかった。
令和ロマンの高比良くるまさんは、ポッドキャスト番組 「令和ロマンのご様子」や、たまにパーソナリティの代役するオールナイトニッポンは欠かさず聞いているし、テレビだと「娯楽がたり」や「引っ掛かりニーチェ」も観ている。
令和ロマンの番組、特にラジオやポッドキャストを好きな理由として、二人のあらゆる知識の引き出しから、多角的なボケとツッコミを連発していき、しかも早くて多いから、飽きることなくずっと聞いていられる。
和田彩花さんは、元アンジュルム(前スマイレージ)のメンバーで、番組出演者の3人の中で一番長く知っている人だ。
そもそも私は、ハロプロが大好きで、アンジュルムももちろん好きだ。
なので、アイドル時代の和田さんをよく見ていた。
今でもたまに、和田さんの卒業コンサートの輪廻転生の武道館の映像を見返すぐらい、和田さんのパフォーマンスは素晴らしかった。
スマイレージは女子特有のかわいさを強調したグループだったが、アンジュルム改名後は、むしろ自然体な、ありのままのかっこよさを追求したパフォーマンスによりスマイレージ時代のイメージを塗り替えた。
その「ありのままのかっこよさ」をしっかり体現していた代表的な存在が、和田さんだったと思っている。
パフォーマンスや言動によりしっかりと主張することで、アンジュルムとは何かを発信・表現し続けていたと思っている。
TaiTanさんは、Dos Monosのメンバーだ。
Dos Monosをはじめて認識したのは、多分RIZINだ。
RIZINの大会の煽りVでDos Monosの曲が使われていたことが何度かあり、そこで興味をもち、曲を聴き始めた。
リリックの鋭さとトラックがとにかく最高にかっこいい。
ヒップホップを聴くているときに、曲のトラックは好きだけど、リリックが好みじゃないとか、その逆もよくあることだが、Dos Monosはどちらも最高なので大好きだ。
そして、TBSラジオ「脳盗」のパーソナリティでもある。
最近、脳盗を聴き始めたがとにかく面白い。
芸人さんなのかと思うほど、二人の掛け合いが早く、しっかりとしている。友達同士の会話を聴いているような緩さがありつつ、情報量と分析の質は全く緩くないところが番組のバランスを保っている。
私の中では、普段の活動の中では、あまり交わることのない別ジャンルの3人が、どんな話をするのか興味があった。
話を流すことなく、ちゃんと理由を聞き合う3人
テレビ番組や広告、動画配信などのシステムやサービスを見ていれば、お笑いが世間のエンタメの中心にあるという共通認識は、私も含め、多くの人にあると思われる。
番組の中で、くるまさんが和田彩花さんに「普段、お笑いは見ますか」と質問した場面。
質問に対して和田さんは「お笑いは、そんなに見ないし、今後もお笑いの動画とかを観ることはあまりない」と断言するような形で答えた。
この発言、お笑いが好きな人からしたら「私にとってお笑いは面白くない」といった否定的な形で答えているようにも聞こえ、これはなかなか強い意志を持った発言だなと思ってしまった。
それに続く形で、くるまさんは和田さんに対して「お笑いを見ないということは、何か理由があるのですか」と聞く、すると和田さんは「例えば漫才は、早口すぎて聞き取れなくて、本来、笑えるであろう部分でついていけず笑えないから、あまり見ない」と答えた。
なるほど。
そういう理由なら理解できるし、今後もお笑いを観ないことにも納得できる。
このように、和田さんは、「こう言ったら、どう思われるかな」という周りに配慮しすぎるようなことが全くなく、自分の気持ちを優先した本音をしっかりと発言していた。
くるまさんは、お笑いの「ボケ」として場をかき乱し、面白い流れつくろうとするが、和田さんがそれをまっすぐな質問として受け止め、正直に回答することで、くるまさんのボケは切り崩されていった。
「令和ロマンのご様子」などを聞いている私からすると、くるまさんがボケまくってケムリさんがツッコむラリーが大好きなので、和田さんのボケを切り裂いていく姿勢に新鮮さを感じた。
ケムリさんはこの番組には出演していないので、TaiTanさんがツッコミとして会話を納めるポジションを務めていた。
このtaitanさんがとても素晴らしかった。
どちらかを悪者にして、バランスをとるのではなく、どちらにも強く肩入れすることなく、常にフラットな立場で適宜、ツッコミと解説と助言により、3人の良さを潰すことなく会話していた。
♯19、20を通して聞くと、3人がお互いの人間味を少しずつ知ることで、最終的に見解が変わるところも良かった。
例えば、和田さんが「New Jeansおじさん」の認識の違いを知った上で、発言を反省したのは、和田さんの誠実さを感じた。
あと、番組最後にくるまさんが和田さんのどこまでも誠実な姿勢を理解して、「お笑いは見ない」という発言がリスナーに誤解されないことを願っていると発言していた。
これは、本当にやさしさにあふれた言葉で、とてもあたたかい気持ちになれた。
そういうつもりで言ったわけではないものが、切り取られて大きな意味を持ってしまう世の中で、
和田さんのまっすぐな発言をくるまさんやtaitanさんが、しっかりと意図を確認して、間違った方向に理解されないよう補助的に説明して、ほとんどちゃかすことなく対話していたのは、今一番必要とされているコミュニケーションなのではないかと思った。
他にも、短い番組時間の中で、とても興味深い場面がいくつもあったので、今後も何回か聞き返したい。
何かを配慮しすぎたり、他人に気をつかいすぎることなく、3人の意見が交錯し合い、だけどその意見が誰かの遠慮によって集約されることなく、色んな発言が飛び交う会話。
聞いていて魅力的だった。ずっとこの3人で番組を続けてほしいと思った。
分かり合えないことを理解する
3人の会話、ドン・キホーテが好き嫌いとか、お笑いを見る見ないという話題でなかなか意見が一致したり共感し合うことはなかった。
だけど、そこで諦めることなく、なんでそう思うのかを聞き合うことで、その理由を追求し、
「あ、そうだよね、だから私たちは分かり合えてないんだよね」
とその状況を論理的に理解することが出来ていた。
ここで、「分かる」と「理解」がごちゃっとするので、調べてみると区別してみる。
この違いから、会話の中で物事などを区別する「分かった」状態になることはあっても、
じゃあその区別は、どういう道理や理論から成り立つものなのかを「理解する」までいくことはなかなか難しい。
分かり合えないことを理解するところまでいけば、心はラクになるし、認識のズレなどが生じにくくなると思う。
むしろ、無理して同意してしまえば、互いの認識にズレがうまれ、それが新たなストレスを生み出してしまう。
今回の3人の会話でも、もし和田さんが他の2人にあわせて、無理して同意してしまえば、そのことを後悔したり、なかなか本当に思ってることを言い出せなくなったかもしれない。
分かり合えなかったとしても、しっかりと互いの判断をすり合わせて確認することで、
自分と他者の「違い」を理解し認め合うことが重要なのだと思った。
誰も見捨てず、決めつけないでほしい
強い言葉や歯に衣着せぬ発言により、世間の注目を集め、インプレッションの大きいものが正義みたいな風潮を感じることがある。
もちろん、屈託のない意見は必要だと思うが、その発言を正当化するために、反対側の立場の人や集合・発言をまとめて排除しようとする動きもよく見る。
その動きは、自身に反するものを「間違っているもの」という枠組みの中に勝手に落とし込んで、常に自分を有利な立場に置くことで勝ち続けているような状態に見せかけている。
この状態を、あまりよく知らない人が客観的にみると「正解」と「間違い」の分断構造がはっきりとしているから、正解を正解だと思い込んでしまう危険があると思う。
こういう、分断と排除を繰り返しながら、インプレッションを稼ぐことで有利な立場を作り続ける人が多くいることに怖さを感じている。
そんな想いを抱くことが多くなった時に聞いたこのポッドキャスト。
3人は、バラバラだけど会話することで合意形成ではなく、それぞれの考えや答えを見出していた。
その答えは「正解」も「間違い」もないのだから、相手を無理に気を遣う必要もない。
分断や排除がなくても、社会は成立するし、そんな関係も楽しいんだと気づかされた。
そして、無理に分かり合おうとする必要なんて全くないのだと分かった。
生まれ育った場所や環境、職業や嗜好が全く異なる3人の会話。
共通のテーマや語り合える趣味もないのに、聞いていて楽しかったのは、私がそんな会話に憧れているからだと思う。