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現代における「最近の若者」とは①
私は「最近の若者は~」から続く説教や非難めいた言葉が嫌いだ。
自分が若者だったころはもちろんの事、若者でなくなった今でも嫌いである。
なぜなら、「最近の若者」は15歳とか20歳とかで急にこの世に生まれたモンスターではないからだ。
何を言ってるんだ、と思われるかもしれないが、
要するに「最近の若者」とは、非難している人たちの年代が育てた子供や、その子供の子供(孫)であるし、その「最近の若者」の手にしている物も環境もすべて、その文句を言っている人たちの年代やその子ども世代が開発したり、作り上げてきたものなのである。そこで育てられてきた若者自身に責任などあるわけがない。
それを急にあらわれたモンスターみたいな口ぶりで批判するのは、いくらなんでも責任転嫁が過ぎる。因果を無視しすぎていると思う。
「最近の若者は~」というのは、はるか古代エジプトから言われ続けているらしいので、そこに具体的に「若者の罪」が何かあるというよりは、基本的には若さへの妬みや、自分の思い通りに物事が進んでいない事への憤り、時代の潮流から置き去りにされつつある自分への焦りなどの様々な感情の矛先が、いつの時代も若者へ向かってしまうということなのだろう。
さて、「最近の若者」の批判を本人たちにすることはお門違いだが、時代によって若者の生き様が変化しているのは確かであるから、今を生きる若者について考えてみようと思う。
「2024年の若者たちについて」
①デバイスの個別化
・テレビ文化の衰退
現代では小さいころから個別のデバイスや動画サブスクサービスなど娯楽を見るツールも種類も充実した中に育ち、「自分の好きなものを好きな時に楽しむ」事が出来る環境が整っている。
それは昭和世代によくあったテレビを巡った家族間でのやりとり、例えば父親が好きな野球をやっている時はアニメを我慢したり、ドラマが見たい姉とバラエティが見たい弟で小競り合いが起きるなど、「集団で同じものを楽しむ」、「集団の中で自分の主張をする」、「大人や年長者の都合で我慢をする」経験、また、テレビのCM時間や野球の延長でのドラマの時間がズレるなど「どうしようもない待ち時間」などをあまり経験せずに育ってきているとも言える。
もちろん、個々の家庭環境によってはテレビを巡って兄弟間でケンカしたり、1台しかないタブレットを取り合ったりなどと言った事は現代でもあると思うが、一人っ子も多く、親の共働きや労働時間の増加により、そもそも子供がテレビを見ている時間に父親が帰ってきていない、子供がテレビなどを見ている内に家事をしないと時間がない、など「同じものを一緒に見て楽しむ」ための時間の確保が難しいケースも多い。
そういった一人時間の増加や自分の好きなものが好きなように見れる環境の影響で、集団行動に対しての抵抗感が高く、「集団にあわせて行動する」「集団内で意見する」事が苦手な若者が多い。また、些細な積み重ねではあるが、CMでの待ち時間や野球延長などでの自分の時間配分を乱されるような「日常的に我慢する経験」が減った事で、ちょっとした事で「理不尽」だと激昂したり、我慢出来ずにその場を離れてしまう、関係を切ってしまうといった傾向も出てきている。
・家電(いえでん:自宅の固定電話)の設置の減少
現代では成人は基本的にスマートフォンを個人所有しているため、家電(いえでん)はそもそも契約していなかったり、契約解除していたり、あってもほぼ使っていない事が多くなった。
それゆえに若者は家電時代にあった「友達と話すために、電話に出た親と挨拶する」経験がない。また、「家族の誰かが先に電話を使っていて我慢する時間」や「長電話で怒られる」経験もなくなった。
これは年少期における「自分から敬語で挨拶する」「年齢の離れた大人と1対1で話す」という大事な社会性を育てる経験が少なくなっているという事である。
そうした家電文化のない中で育った新社会人が会社の電話を取りたがらないのは必然だろう。時代背景を考えない人たちが「新入社員が全然電話を取らない」「新人の仕事なのに!」「教えられなくても電話ぐらい出ろ」と愚痴っているのを見た事があるが、幼少期に家電を経験している私ですら会社の電話は苦手だったので、「知り合いや友人から自分にかかってくる電話」しか取った事がなく、「電話で大人と話す」経験のない世代にとっては相当に未知でストレスのかかるものであるという事は考慮しておきたい。「敬語で話す」事ですら、それぞれの先生の厳しさやバイト経験の有無によってはあまり実践を積んでいない。電話の取り方、かけ方、メモの取り方などから教えないと、まったくPCを触った事がない人に急にエクセルの数式の話をしている状態になってしまう。まずPCの電源の入れ方から教えなければ、それは相手からすれば「理不尽」なのだ。「電話なんか当然取り方を知っているでしょう」「PCなんか当然触ったことあるでしょう」と決めつけず、相手がどのような状態であるか聞かなければいけない。知らないことを知らないと自分からいうのは、意外と難しい。ましてや年上と話すことすら慣れていない新社会人が「聞く」こともなかなかハードルが高いのである。
家電は親の側から見ても、取り次ぎをする事で子供の人間関係を把握しやすく、また挨拶の仕方や言葉遣いによって子供の友達が「どのような環境に育つ、どのような子なのか」なども推測が出来る時間であった。子供が誰と仲良くしたり、どれくらいの頻度でどれぐらいの時間をかけて交流をしているのかも分からず、詐欺や性加害など犯罪目的で大人が接触していても親が気づくチャンスが少ない。子供の自由が増えた分、ルールを決めてスマートフォンを持たせたり、どのような使い方をしたら危ないのか、どのような人が危険人物なのかを教育する必要があり、リスク管理がなかなか難しいのが現状だ。
家電の衰退で、若者はより「自分と同年代の気が合う仲間としか話せない」人が多くなり、人間関係においても「自分しか把握していない、自分だけのコミュニティ」に閉じこもり、親にもあまり開示せず、「自分の友達やコミュニティが客観的に見てどうなのか、どう見えているのか」「常識的な友達か」について疑問に思う機会が減っていると言える。
長くなりそうなので②へつづく