死に対する感覚の違い
なんか、タイトルがアレなんですがw
そのまんまです、タイトルの通り。
どう答えるのか聞いてみたい、よく高齢者施設で利用者さんが言う言葉。
「まぁ、私ももう死んじゃうけどさ」
コレに対して、皆さんはなんて答えますか?
若い介護職の人とか一瞬迷いませんか?この「死」という言葉に対して、歳を取った方々に言ってはいけないような、そんな気がしませんか?
面と向かって「まあ、明日明日死んじゃうような」とか「片足半分天国に突っ込んでる」とか(笑)そういうふうに、割と簡単に言うお年寄りは結構いらっしゃいます🤣
若い人が考える死
お年寄りが死に対して語った時に、咄嗟に、「そんなこと無いですよ」とか「何言ってるんですか〜」とか、言ってしまいます、私も。若者というわけではないけど🤣
でも、それが普通なのかな…と、思っています。
個人的な考えなんですが。
私たちは目の前の御老人が、普通に生きたとしても私たちよりは早く亡くなることは知っています。確実に私たちよりは早く亡くなる。
そんな私たちにとって「死」というのは、何なのかと言うと、私たちにはまだ、通常、訪れないモノなんですよね。そして、もしも、それが明日に突然、私たちに訪れるとしたら、それは不幸で恐怖なものなんだと思いますよ。
だから、目の前の人がそれを口にした時に「何いってんだぃ!」って言いたくなってしまいます、そんな事を言わないでって。
高齢の方々が考える死
でも、私たちよりも歳を重ねた高齢の方々にとってはどうなんだろうか?
私はまだそこまで歳をとっていないから🤣まだ想像でしかないけれど…
周りに若い方々が増えていく。
自分の友達や同年代の方々が減っていく。
身体が動かしにくくなって、上手く出来なくなっていく事が増えてきて
隣の同い年くらいの人が亡くなったと聞く。
ああ、次は自分かな。
それは、怖いとか不幸とか、そういうものじゃなくて
自然な流れっていう。
そんな感覚なんだろうかな?と、私の想像で🤣
確実に「死」という言葉に対しての、感覚は全く違うと思うんですよね。
世の中には希死念慮があるような若い方もいらっしゃるかもしれませんが、それとも全く違う、そんな感覚。求めるとか拒絶とか突然とか、そういうんじゃなくて、流れの中に居る感じの?って言うのかな。
私達が考える死と、高齢者の方が考える死は、そもそも、重ねてきた月日の分だけ意味が違うものって思っています。
こればかりは、私が、その年齢に達するまでは分からないかな?って思っていますが(笑)