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Z世代の孫『ちょへちょへ』に振り回されながらも日本語の未来を憂う日々
団塊の世代の私とZ世代の孫
私は、いわゆる「団塊の世代」と呼ばれる人間だ。
戦後の復興期を生き抜き、日本語の美しさを大事にしてきたつもりだ。
だが、最近、私の目の前で日本語が崩壊していくのを感じる。
いや、崩壊どころか、何か未知の暗号に変化しているようだ。
3年前の元旦のことである。息子から届いた年賀状を開けた瞬間、
私は目を疑った。
あけおめことよろ
何だこれは?暗号か?元旦早々、私は混乱した。
「あけおめ」とは「明けましておめでとう」の略だと、後から友人のM子から聞いた。「ことよろ」は「今年もよろしく」だそうだ。
だが、そんなことを略す必要がどこにあるのか?
新年の挨拶くらい、ちゃんと伝えればいいではないか。その時からだ。
私の中で「Z世代」という言葉が、何か異世界の住人を指すような響きを
持ち始めたのは。
さらに驚いたのは、Z世代と言われる孫との会話だ。
小学3年生の孫が、私に向かって言った言葉がこれだ。
「Reiさん、ちょへちょへしてる!」
ちょへちょへ?何だそれは。 私は孫の顔をじっと見つめた。
「ちょへちょへ」とは何かを聞き返すべきか、
それとも適当にうなずいてやり過ごすべきか。
結局、私は「そうか、ちょへちょへか」とうなずいてみせた。
孫は満足げに笑ったが、私は心の中で叫んでいた。
「ちょへちょへって何なのさぁ~!」
その日の午後、私はM子に電話をかけた。
M子は私と同じ団塊の世代で、最近の若者言葉に詳しいらしい。
「ねえ、M子。孫が『ちょへちょへ』って言ったんだけど、
あれは何なの?」電話の向こうでM子が笑う声が聞こえた。
「ああ、それね!『ちょへちょへ』は『ちょっと変』とか
『ちょっとおかしい』みたいな意味らしいわよ。」
「そうなの?でも、それならそう言えばいいじゃない。
なぜそんな言葉にするの?」
「まあ、若い子たちは自分たちだけの言葉を作るのが楽しいんじゃないの?」
日本語の崩壊
私は納得できない。日本語は美しく、豊かな表現力を持つ言語だ。
それをわざわざ崩して、意味不明な暗号のような言葉にする必要が
どこにあるの? 数日後、孫が「すまたにえん」と言った時も、
私は思わず尋ねてしまった。
「すまたにえんって何だ? 永谷園のお吸い物のことか?」
孫は笑いながら答えた。
「Reiさん、それは『すまない』って意味だよ!」私は頭を抱えた。
「すまない」を「すまたにえん」にする意味が全く分からない。
むしろ長く複雑になっているではないか~。
最近では、孫と話す時は適当にうなずくことにしている。
「ちょへちょへ」だろうが「きゃぱい」だろうが、
何でも「そうか」と返しておけば、孫は満足する。
だが、心の中ではいつも叫んでいる。「日本語よ、どこへ行く~」
英語を話せば15億人と友達になれるのに
先日、M子とカフェで会った時、私は孫の話をしてみた。
「最近ね、孫が『きゃぱい』とか『ちょえ』とか言うのよ。
M子、これ分かる?」 M子は笑いながら答えた。
「『きゃぱい』は『キャパオーバー』、
つまり『無理』とか『大変』って意味らしいわよ。
『ちょえ』は『ちょっと待って』のことみたい。」
「それならそう言えばいいじゃない! なぜ略す必要があるの?」
「まあ、若い子たちは流行り言葉を楽しんでるのよ。私たちだって昔は
『イモ』とか『ナウい』とか言ってたじゃない。」
「それはそうだけど、こんなに意味不明じゃなかったわよ!」
意味不明な日本語を話すのなら、世界共通言語の「英語」を学んで流暢に
話してくれた方が嬉しい。
英語が話せれば15億人以上の人々と会話を楽しみ、友達になれるのに。
「ちょへちょへ」を話たって通じるには
日本の人口の僅か14%のZ世代のみではないか~
日本語の崩壊を憂いながらも、孫たちの笑顔を見ていると、
まあそれもいいかと思う自分がいる。
結局のところ、言葉は時代と共に変わるものなのだろうか。
それでも、私は密かに決意している。
次に孫が「ちょへちょへ」と言ったら、私はこう返してやるのだ。
「ちょへちょへは、ちょえだナ~」
孫がどんな顔をするか、今から楽しみでならない。